武道の力 | 夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

人にはもともと自然からいただいた素晴らし能力が潜在しています。それは、すでに日常の生活に根付いている生活レベルの文化の中にあるのです。武道文化を活かし、さらなる可能性を・・眠っている潜在能力を開発する。「気」という世界観は、武道文化の中に眠っています。

氣が緩むと・・体がだるかったり・・。体は疲れているのに・・気持ちが張っていると・・動けてしまう。


そういう事は・・誰しもが経験のある事だと思います。休みまで・・頑張ろう・・と・・思うと・・休みが長く


無い状態でもそれを体は受け入れてくれるのですが・・明日休み!となると・・不思議と・・そこに合わせて


疲れがどっと・・出てしまう・・それも又・・体の不思議な作用と、思えます。武道をやっていると


そういう事を、良く感じるものです・・。力のいれどころが・・わかるから・・人に指導できる。


これは・・以前にも書きましたが・・意識を同化させる事で生徒の体の遣いか方の悪い所が、見えてくる


のです。と・・いっても・・軸がずれているという事だけで・・しっかりと・・自分の軸と・・相手の軸を


合わせる事が出来ていれば、最少の力の内で相手と勝負できる事を楽しめる様になるのではないでしょうか・・


私等は・・もともとの力がない方ではありませんが・・自分の力を最小限に使う事で、体力を維持したり


なるべく・・力を多く使わない所で相手を制する事に・・意識を置いて稽古をしています。


それは・・力の差があれば・・なおさらで・・力の差を無視して、自分の力を出してしまえば・・


相手は怪我をする事になるのです。そういう事で・・氣とは得体のしれない物で・・あるのかないのか


分からないようなものですが・・しかし・・先ほどの例のように・・気持ちの持ちようで体調や気分


が変わってくるのであれば・・それは・・無いとは言い切れないはずです。これは、誰もが認めなければならない


事なのです。力を出すにあたっても・・気持ちの入った力なのか・・どうでもいいような力なのか


そこに・・真剣身という考え方をリンクさせれば・・その力のの不思議も真剣と勝負する・・思いの時


ほど・・強く出せる・・これは、実際には・・ない・・状況を自分の中で作り出し・・その意識の中で


強い力を出す事を望む自分を現実化するから・・出せる力なのかもしれません。


先日来・・私は・・趣味のクワガタの事で・・色々と忙しくしておりますが・・それで、夜寝るのが


遅くなったりとか・ww産んだとか・・産まないとかwwそういう事で・・気持ちが緩み?・・


木曜日の朝から・・頭痛の偏重が・・とうぜん、毎日の稽古の疲れもたまっています。


膝とか・・。で・・痛み止めを・・木曜日の午前に飲んで・・だましだまし・・一日を過ごしていましたが・・


夕方・・稽古に出向く事をためらっていました。だるい・・し・・頭も少々痛い・・どうしよう・・と・・


しかし・・過去に何度も・・同じような状況下で、稽古に出向くと・・その帰りは・・すっきりして・・


疲れも感じていない・・疲れて体がだるいはずなのに・・なぜ??今は、そうでないのか・・


木曜日も・・全く同じでした・・。稽古は・・すぐ下の弟弟子に・・打太刀が出来るように、指導する


事で・・1時間半・・・宗家には・・2度観ていただき・・・・終わり掛けの3分程で・・ひさしブリにみえた


SZさんに、三学の2本だけ・・相手をしていただき・・と・・さんざん稽古をしました。当然、弟


弟子に教える事も・・大先輩のTNさんとの三学の時も・・SZさんとの稽古も・・すべて真剣身の


中に自分を、置く事は・・必死です。教える事・・教えられること・・すべてが、一期一会の最初


で最期の機会と考えても良い。明日は無い・・今に一生懸命に自分をいかに演出する事が出来るか・・。


この心を忘れれば・・明日があるから・・また今度があるから・・では・・私の木曜日の貴重な経験


は・・できなかったし・・心にも残らない。その一回一回を、いかに真剣に取り組めるかが・・


心の進化・・心の上達を促してくれ・・その心活力が、氣として・・体現できるのではないでしょうか・・


伝統の文化の中には・・先人達の・・真剣身が込められている・・過去から未来に向かっての


心の在り方や、心の持ち方を教えてくれているのです。そこに、不思議な働きがあっても何んら


可笑しなっことはないと・・私は感じ、思う次第です。これは・・よくリフレッシュなどと言う言葉


で言い表されます・・簡単に片づけられがちですが・・真剣身という心の持ち方一つの中に・・


実は「氣」が内在しているという事を、意識すべきなのです。武道の力侮るべからず。


先日の稽古では・・久しぶりの大先輩TNさんと・・三学を遣い相ましたが・・「しばらく来なかった


間に・・一段と腕を上げた・・ね」と・・お褒めのお言葉・・は、とても嬉しくありがたかったです。


御年70ですが・・厳しく物を観て、厳しく批評されます。新陰流を愛してやまないお方の一人です。


SZさんには・・時間ぎりぎりで2本しか観ていただけなかったのですが・・一刀両断・・SZさんの


大きなゆったりとした←私個人の評価ですwwで・・応じる事が出来たと・・思っています。


私の太刀にはじき出されたSZさん・・押し殺してはいましたが・・にんまり顔でした。


ザンテイも・・斬られる事なく・・斬る事もなく・・最近・・この勝負では・・最近よくあります。


私がSZさんに引き込まれて・・打ちに行けば・・私は・・したたかに斬られすのです。


その殺気を・・読む事が出来るから、引き込まれないでその場で打つのですが・・さすがの剣速は


私の太刀の下をギリギリで抜けて行く・・SZさんには「斬りあいの勝負の中で、稽古が出来なければいかん・・」


と・・にんまり・・言われました・・が、その言葉に誘われて・・行けば地獄であるのです。


卜伝一つの太刀の妙・・これは、間と拍子・・そして太刀の中に居る自分・・。待って活には、


本当に、厳しい所で稽古をつけて頂かなければなりません・・私の腕には・・何度・・袋竹刀の


縫い目痕をくっきり・・SZさんに刻まれた事かwwwしかし・・あの立ち合いほど・・緊張感を


得る事が出来る練習は無いのです。そこには・・氣と氣のぶつかり合い、胎の勝負が無くてはなりません。


胎の勝負が出来なければ、勝負はすでに決まっています・・胎が上の人が勝のです。


飲まれたらおしまい・・そういうことです・・自分が、臨む時・・すでに準備が出来ていなければ・・


掛かってくる相手には・・遅れ拍子であるわけです。これは・・人間の足や手を動かすスピードなど


くらべものにならない・・いわゆる・マッハの世界の話ですから・・当然、間に合わない。


真剣身の稽古・・勝負の中では・・間に合わない自分に気が付く事が出来る、稽古をしなければ・・


決して勝てない・・勝てる?そういう所を行ったり来たりです。打たれれば・・その事を活かせなければなりません。


すでに・・技や打ち方の問題ではないのです・・。