最近のネット界隈で騒いでいる飲食店テロ?的な動画に対するコメントを見ていて感じた事。

心理学でもよく言われますが「人間は見たいものや、信じたいものを見たり信じたりする」ということです。

 

つまり、自分で経験していないことでも、

なんか、聞き齧っただけでわかった気になって、

さも自分は色々知っています体な雰囲気を出してしまいがちだということ。

 

過去の動画で回転寿司の皿に消毒液をかけて問題になったものが話題になっていて、

Youtubeの時事系動画で取り上げられていました。

そのコメントを見ていると

「メタノール」と「エタノール」を混同している人が居たりしていました。

メタノール=メチルアルコール=アルコールランプに使われる

エタノール=エチルアルコール=飲料アルコール(消毒用は80%エタノール)

 

戦前にメタノールを飲んで失明した人がいる的な話をしていましたが、

多分これはアルコールランプでの作業やランタンのアルコールを

「アルコール」という名前だから酒だろうと飲んだ人たちのことだと思いますが

混同して批判をしていました。

高校の化学を習った人で覚えているなら混同しないはずなんですが、

人間は忘れてしまうから。。。

 

 

同様の現象は色々なところで見ることがあるので、割愛しますが、

恋と同じく、盲目に信じてしまうと周りが見えなくなるため

関わると非常に痛い目にあってしまいます。

 

こんな人達に対しては「わかってもらおう」としないことが大切です。

正しい知識を出してみたところで、盲目なため、

正しい知識すら拒絶されてしまいます。

なので、もし見かけたらなるべく距離を置くようにしましょう。

 

相手も「わからせよう」と躍起になってくると思いますが、

完全無視を決め込むことで、自身の精神性は保たれるので、

健全に過ごすことができます。

メモ的なアウトプット。

書くことで、自分の脳にしっかりと入れておこうと思って、ダラダラと書いてみる。

 

TVをなんとなくつけて見ていたら

「脳科学」の最新情報的な物の紹介で

「意識」は「無意識」の結果として起きている事象 的な話をしていた。

 

無意識で身体は生命維持活動をしていて

そこで流れている神経内の微弱電流がきっかけで

今、頭の中で思い描いている言葉を作り出していると言う話。

 

その時は、面白い話だなぁぐらいで聞いていたけど、

ちょっとしたデジャブ感があったので、思い返すと

どこでだかは忘れたけれど聞いたことのあるトピックだった。

 

そこで、ふと思ったのは

精神疾患になるときはこの現象がきっかけになることもあるんだろうということ。

 

つまり、日々の無意識の活動のルーティンがきっかけで

何かしらの異常を発してしまうこともあるだろうということ。

 

LOHに少し片足を突っ込んだ身としては

身体の異常(ホルモンバランスの変化)やストレスによる疲れが

精神に異常を与えることは身を持って体験したわけで。。。

この異常を取り除くことで、不調が治ったりするのはすごく理解できる。

 

 

人間の進化の過程において

外敵から身を護る → いつでも対処できるようにする → 想像力の発展

だと思っているので、

神経系の流れ → 意識の確立 

の流れはごく自然的な発生なんだと思う。

 

身体を動かさなくなったことで、神経系の信号の流れが

昔よりも変わってきているんだろう。

そんな風に想像すると、

似たような微妙な信号が立て続けに起きていることは

同じような思考の回転(頭の中で悶々と繰り返す)に繋がるのではないかと。

 

ということは。。。

「文化」とは同様な神経刺激を受けやすい環境で複数人が存在すれば

思考のベクトルは結果として合わさりやすく

結果として閉じた環境の閉じた社会性が生まれ

それが広がることで文化となるのではないだろうか

 

よく、精神病院に入院すると治らない的なことを聞いたりするが

それは上に書いたようなことが原因になっているような気がします。

 

そういった方々はきっと、環境や行動ルーチンを強制的に変更すると

良し悪しに関わらず変化するのだと思う。

 

NLP的な考えで行くと

思考のプロセスを細かく分類し並び替える事で行動を変えるといったものがある。

逆もまた然りなのだろう。

 

動いたほうが考えがまとまる

 

動いたほうが神経系の信号が増えるから

色々と思いつきやすいのだと思う。

 

 

 

昭和生まれだからか、歳だからか

カタカナ言葉が覚えられなくなってきた気がします。

 

最近は以前より「急に」カタカナ言葉が出てくるような気がするのは気のせいだろうか?

マーケティングの勉強もしているので、余計にそう感じてしまうのもあるだろうが、

知らない言葉に出会うことが多いように感じています。

 

で、思うのが

新しい言葉に出会ったときはその言葉が「身」になっていないように感じてしまうため、

 

文章を読む、動画を観る

知らない言葉に出会う

文の前後で判断できないため、引っかかる

言葉を調べる

理解する

改めて文章に触れる

 

と、効率の悪い理解、思考をくりかえしてしまいます。

 

筋トレでもそうですが、効率の悪い過程を身体にかけていると

疲れが先立って身になってしまいます。

まさに、それと同じような疲れを感じます。

 

 

戦前では海外の言葉を禁止されていたりしたこともあって、

外来語の本質を汲み取って、日本語を充てることが上手だったように思います。

 

漢字に充て、日本語の響きに加わることで、理解の素地が生まれたのではないかと。

 

「言葉」は生活や生きている環境において、大事な物や事を理解するために発展したのだと思います。

細かい差異を埋める「言葉」があるからこそ理解は強くなると感じます。

 

今の社会は新しい情報に出会うペースが以前に比べて異常に早いので、

昔ながらの感覚は大切にしていきたいなと感じています。