昭和生まれだからか、歳だからか

カタカナ言葉が覚えられなくなってきた気がします。

 

最近は以前より「急に」カタカナ言葉が出てくるような気がするのは気のせいだろうか?

マーケティングの勉強もしているので、余計にそう感じてしまうのもあるだろうが、

知らない言葉に出会うことが多いように感じています。

 

で、思うのが

新しい言葉に出会ったときはその言葉が「身」になっていないように感じてしまうため、

 

文章を読む、動画を観る

知らない言葉に出会う

文の前後で判断できないため、引っかかる

言葉を調べる

理解する

改めて文章に触れる

 

と、効率の悪い理解、思考をくりかえしてしまいます。

 

筋トレでもそうですが、効率の悪い過程を身体にかけていると

疲れが先立って身になってしまいます。

まさに、それと同じような疲れを感じます。

 

 

戦前では海外の言葉を禁止されていたりしたこともあって、

外来語の本質を汲み取って、日本語を充てることが上手だったように思います。

 

漢字に充て、日本語の響きに加わることで、理解の素地が生まれたのではないかと。

 

「言葉」は生活や生きている環境において、大事な物や事を理解するために発展したのだと思います。

細かい差異を埋める「言葉」があるからこそ理解は強くなると感じます。

 

今の社会は新しい情報に出会うペースが以前に比べて異常に早いので、

昔ながらの感覚は大切にしていきたいなと感じています。