愛こそがチカラ!極道から僧侶へ・密教僧侶ヒーラー正仙 -1070ページ目

今日は観音様ご縁日・念彼観音力のパワー!

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※写真は自坊聖観音仏画です。


昨日私のブログの読者の方から、「誰も信じてくれないが、子供の頃に観世音菩薩を見た事があります…」とのメールが入りました。


この方のブログは飾らない言葉ながら、親や家族、周囲への純粋な愛情にあふれた内容で、私もよく拝読しているのですが…


この方のメールを読んだ時に、優しい心根を持つこの方を、観音様がしっかりと守ってくれてる様な気がしたものです。


観音信仰の根強い日本では、その霊験談はとても多かったりもします。


臨終の際にある方が「光り輝く観音がお迎えに来ているのがお前達には見えないのか!?」と看取りに来ている家族を驚かせた等という実例を、ひょっとしたら…


身近に見聞きした事のある方も多いのではないでしょうか?


お隣り韓国でも観音信仰は盛んで、私は何度か韓国に行きお寺を訪ねましたが(そのほとんどが禅宗の寺です)老若男女を問わず「南無阿弥陀仏 観世音菩薩!!」


一心不乱に額に汗しながら五体投地するたくさんの人の姿に…


驚きと感動さえ覚えたものでした。


私が未成仏霊などの浄霊を行う時でも、観音様は強力な助っ人です!雷


不動明王が炎で不浄のエネルギーを浄化するイメージだとしたならば…


観音様はその大慈悲の光りを闇に差し込み


愛の源に教化してしまう…


この世に執着し、しがみつこうとする魂にみるみる内に反省を促し、黄泉へ旅立つ心持ちにさせてしまうそんな力を感じさせます。


圧倒的な愛のパワーとでも言うべきものを感じるのです。


今日は夜間に用事があるので、少し早めのお勤めとなります。


いつも私のブログを覗いてくれる方やペタを下さるかた


暖かいコメントや励ましのメッセージを下さる方


本当に感謝しております。


小さな自坊より皆様の心願成就・身体健全を世界平和と併せてお祈りさせて頂きます。


合掌

今日16日は大聖歓喜天(聖天)のご縁日!

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今日16日は大聖歓喜天(聖天様)のご縁日です。


聖天さんは自坊でお祀りしている仏でもあり、昨日夕刻より、聖天華水供養を勤修しました。」


大聖歓喜天は『聖天』や『ガネーシャ』の名で親しまれ有名でもあります。


関西では生駒山宝山寺の聖天・関東は東京浅草の待乳山本竜院の聖天が有名です。


この聖天という神は賞罰の激しい神として知られており…


密教僧侶の間でも、この聖天(歓喜天とも言います)は非常に扱いの難しい天尊とされていて、宿世の縁がなければ修することが叶わないとまで言われています。


元々はインドヒンズーの神で、父はシヴァ神(大自在天)母はパールヴァティーと云う女神にその神話の起源があります。


聖天さんは別名ガネーシャである事はよく知られていますが、古代の神話では人に災いをもたらした鬼神、ビナヤカ(毘奈夜迦神)とも同体とされています


聖天を奉るお寺に行くと必ず、十一面観音が奉られている事にお気づきの方も多いのではないでしょうか?


古代の神話では、十一面観音は悪鬼の首領であった毘奈夜迦に慈悲を垂れ、自ら夫人となって嫁す事によって


暴れん坊の毘奈夜迦(聖天)を改心させ、仏教守護を誓わせた言い伝えがあるのです。


こうした聖天が持つ本来の荒ぶる神としての性格が影響してか?


日本の昔の密教僧や行者達は怨敵調伏(敵対する相手を打ち倒す)の神として崇めたダークサイドな歴史もそこにあったりもします。


しかしながらこれは昔の話し…今は聖天を奉るどこのお寺も国家安泰や参拝された皆さんの心願成就や息災円満を祈るばかりです。


私は数年前ネパールに旅行に行ったのですが…


ネパールの首都カトマンズを初め、多くのヒンズー寺院やチベット密教寺院を訪ねたものでした。


ヒンズー教とチベット密教が融合した様な寺院も多く、日本では考えられないそのスタイルや、民族性からくる宗教観の違いに新鮮な感動を覚えたものでした。


日本のお寺では、聖天は完全な秘仏扱いで、浴油祈祷を修法せぬ間は開扉(御開帳の事)しないのが、一般的ですが…


ネパールではインド圏と云う事もあってか?至るところにガネーシャ(聖天)がいるではありませんか!?あせる


一般の民家の玄関先や商店の入口、そこかしこに!色鮮やかな軸装の絵もあれば、銅に鍍金した綺麗なガネーシャも何のこだわりもなく置かれていたものです。


私はガネーシャを奉じている有名な寺院を訪ねる為、カトマンズから離れ、かなり山奥まで、通訳兼ガイドのネパールの方の車に乗って行ったのですが…


山道で辛うじて舗装はされているものの、デコボコ道の上に車のクッションは悪く、現地に着くまでにしっかり尻が痛くなってしまったものでした(笑)


行く道中など、コーナーの急なところなどで、日本で言えば、観光バスの様な大きな車も横転している光景なども何度も目にしたものです。


実に、目的地に着くまでに3台もそうした車に遭遇したのでした(笑)


ガイドの人に聞くと、定員オーバーの上に、屋根にまで人がたくさん乗る為に、カーブを曲がり切れずに横転してしまう様で…


日本の様にJAFの様な機関があるとも思えず、どうなるやら?と気の毒に思い見ていると…


『てんでおかまいなし!』といった風情で、バスの運転手はおろか、乗客の人達も倒れたバスを見て笑っているのです。


その光景を見て、なんとものんびりとした素朴な新鮮なものさえ感じ…時間に追われセカセカとしている我々日本人との国民性の違いをまざまざと見せられた様で…


微笑ましいものにさえ見えたものです。


こうして珍道中を終え、ガネーシャの寺院に付き、このお寺のお坊さんより、ガネーシャとお近づきになる潅頂を受ける事になりました。


地元の方からと思える供物や花がたくさんありました。


導師の方がマントラを唱え、私にガネーシャの仏像に何度となく額をつける様に求めてきます。


仏像に付いているティカ(インドの女性が額に付けている赤い粉)のおかげでおでこが真っ赤になりましたが…笑


導師がガネーシャを賛嘆するお経やマントラを唱えている間…


私はそこに清浄でパワフルなガネーシャ神のエネルギーをとても強く感じたのです。


すると、先程まで天気だったのに、急に強い風と共に雷までが鳴り始め…


かと思うと、目の前に大きなネズミが現れるれるではありませんか!!


すると導師の方がネパール語で私のガイドに何か言っているので、聞いて見ると…


『ネズミはガネーシャの眷属であり、あなたはガネーシャの祝福を受けている』と言うのです。


しかしながら、元来あまのじゃくな私は導師の方のお言葉を有り難く頂戴しながらも…


内心、日頃栄養豊富な供物を食べて肥え太ったであろうネズミのお腹を見ていたのでした(笑)


私は前世のどこかで行者や僧侶をしていた頃にこの聖天を身近に置き、きっと拝んでいたのでしょう…


因縁浅からぬものを感じたりもします(笑)


ガネーシャは、仏教やヒンズー教を信仰する人だけでなく、ニューエイジやスピリチュアルを志す人達にも愛されている神でもあります。


豊かさや芸術、学問や文章を書く事や家庭内の調和など、とても幅広い守護をしてくれる神としても知られますが…


私が聖天を拝んでいて感じるのは、障害の消除や回避といった問題解決に対する迅速でパワフルなエネルギーでもあります。


特別な修業をせずとも、ガネーシャの絵に心で語りかけるだけでも、側に訪れ、導きやサポートを与えてくれる寛大で優しい神に違いありません。


今日も雨の東京ですが…


皆様にとって実り多き一日となります様に


小さな自坊よりお祈り申し上げます。

合掌

恐妻家こそ夫婦円満の秘訣!?①

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※写真はヒンズーの女神ドゥルガーです。


最近に読んだ美輪明宏さんの本の中で、男性と女性を比べた時に…


女性に男性と同等の腕力が備わっていたら、男などひとたまりもないのでは?という様な意味の事が書いてありました。


私はこれを読んだ時、内心「ごもっとも!その通り!」と…


思わず笑いがこみ上げてきてしまいました。


男性・女性の両方のメンタルな部分を理解している美輪明宏さんの話しはとても面白く、豊富な人生経験に裏打ちされた話しはパワフルでさえもあり…


男女共にファンの方も多いのではないでしょうか?


女性に対するイメージは人それぞれ違うと思いますが…


優しさや穏やかさ、知性的であったり、何かあれば泣き出す様なか弱さ…または、子供を育む存在としての母親としてのイメージを思い浮かべる方もいるかも知れません。


男性は、『外に出れば七人の敵あり』といった諺に見られる様に…


妻や子供を守り、自らの目標や願望実現の為に表で闘う戦士の様な存在を自分とダブらせる方も多かったりするのかも知れません。


政治や経済を見る時、世界的規模で見れば、女性の台頭著しいものがありますが、まだ全てのジャンルに於いて、男性優位と言わざるを得ない状況の社会構造でもあります。


それでも大手企業やベンチャー起業、その他様々な分野で女性が社長や代表であったり、管理職に占めるその割合も年々増加の一途を辿っている様ではあるのですが…


得てして、バイタリティに溢れ、力に漲り、勤勉な男性がこの世界を回し、動かしているのでしょうか?


私は社会的に成功する男性の裏には常に陰で支える女性ありきと見ています。


夫婦として男女が暮らしている場合、女性の支えなくして男性が大きな仕事を成し遂げる事は出来ないと思うのです。


よく女性の嫉妬、ジェラシーは手に追えないと聞く事がありますが、嫉妬やネチネチしたジェラシーと云うものは女性だけの専売特許でしょうか?


私は男の嫉妬や妬きもちぐらい手に負えないものはないと思っています。


勿論、浮気した旦那さんに出刃包丁を突き付け脅しあげる様な怖い女性もいないとは言いませんが…笑


確かに女性は嫉妬を感じると同性にイジワルしてみたり、ありありと無視する雰囲気(シカト!)を出してみたり、繊細ゆえにそうした感情を職場にまで持ち込んでみたりと…


公私の切り替えの出来ない女性も中にはいるのかも知れません。


しかしながら、女性は男性と違って、時には人目を憚らず泣く事も出来ます 。


涙を流し泣くと云う行為は、心の浄化をもたらし、それまでの自分をリセットする働きを持ちます。


つい先日もファミレスで食事をしていると、三十代後半とおぼしき三人連れの女性達が…


あせる〇〇ちゃん!私がワルかったのよゴメンナサイ!』


『私こそワルかったの許してね…』


と仲裁役の奥様を間に入れて、半ベソをかきながらお互いの手を取り合い仲直りしている姿を見かけました。


聞こえてくる話しの内容からすると…お互いの悪口が他者の口を通して聞こえたが為に犬猿の仲になってしまい、見かねた共通の友人が仲直りの席を設けたといった感じに見受けられたものです。


お互いに心の深いところでは、『自分から謝るべきじゃないだろうか?』と思っていた様で…


まさに『時の氏神』とでも言うべき仲裁役を買って出た女性の出現に感謝、感激といった感じでもありました。


揚げ句の果てには、何もなかったかの様にペロリと食事を済ませ…


更にはチョコレートパフェをパクつくその姿には…私も思わずアングリしてしまったのですが…笑


男と云う生き物は、若い時であれば、お互いの軋轢はストレートに感情をぶつけ合い喧嘩してでも解決を図ろうとする時もあります。


でもそれも若い時の友達同士ならいざ知らず、まして会社等、お互いの立場のある所ではそうはいきません。


お互いの男としてのプライドや立場が、仲直りする機会を邪魔してしまい、延々と引きずる時もあるのではないでしょうか?


『江戸の仇は長崎で』という言葉がありますが、男の場合こうした感情というものは、会社の部署等で自分が優位に立った時等に…


報復人事として現れ、一方がとんだ冷や飯を食うハメにも成りかねません。


我々がTVや新聞、雑誌でよく見る活字で踊る文字が示す事象の中には…


政党内での派閥争いによる更迭人事!


派閥から干された政治家による派閥領袖に対するスキャンダルの暴露や中傷!


大企業等での新体制役員による旧経営陣への攻撃!


芸能人の長年の付き人による私生活やスキャンダルの暴露!


外国に目を転じれば、新大統領による旧大統領及びファミリー企業への攻撃!


例を挙げればキリがありません。


こうした事を見る時、保身の為…言い換えれば『失う事への恐れ』の表れであったり、自分が不当に扱われた事に対する償いを求める気持ちだったり…


そして時には男特有の『嫉妬』の臭いをそこに嗅ぎ取る時があったりもします。


私は長い間ヤクザの世界に生きていました。


一般の人からすれば、竹を割った様な性分の人間がヤクザに成るのだろう?と思われるのかも知れません。


確かにその通りの人間も多いのですが、そこには負けず嫌いな人間の集まる世界でもあり、男の嫉妬を生みだしやすい場でもあったのかも知れません。


生みの親の言う事も聞かないはぐれ者の集まりなのです。


そこには、一般の人達には理解しがたい幼少の頃より家庭環境に恵まれない事に因を置く『寂しい性根』を持って生きている人間もまた多かった様な気がします。


親分、子分、叔父貴、兄貴、兄弟、舎弟と、世間と隔絶する形で擬似家族を形成するのも親の言う事を聞かない荒くれ者をまとめあげる上で必要なシステムなのです。


私は過去にヤクザの世界に生きていたからと言ってヤクザを擁護するつもりはありません。


しかしながら片親で育った子や親の愛情を知る事なく…


鑑別所から少年院、そして刑務所へと幾度なく施設への入退院を繰り返し、身体に反発を叩き込まれた人間にとっては…


ヤクザ社会というものは、時には上の人間から怒鳴られ、食べる苦労(収入源の確保)も常に付きまとい、対組織対警察と神経を張り巡らし、本当のところを言えば、枕を高くして寝る日など無きに等しい世界でもあり…


立場が上になればなる程こうした傾向は強くなるのです。


しかしながら極道としてストイックな価値観に生きるはぐれ者にとっては…


『極道の世界』」はそんな自分を肯定してくれる唯一の暖かさを感じる事の出来る場所でもあるのです。


ヤクザは力を誇示する社会でもあり、座布団がひとつ違うだけでも(座布団とは立場の上下を表します)


同期にスタートした人間であっても相手が上になれば、言葉遣いひとつでも、改めなければならず…


心中は不本意ながらも、礼節を示さなければならない時もあるのです。


ましてや親分子分との関係ともなれば、自らの生殺与奪の絶対的権利を『親分』と呼ぶ人に譲り渡す事を意味する世界でもあり…


自分の所属する組織の長が引退したり、死去する事に伴い…


自分と同格の人間が、後任の組長として抜擢される事もあるのです。


お互いに昨日まで『兄弟』と呼び合い、五分(対等)で付きあってきた仲間が、天と地ほどの差がある『親分』に成る時に、厳しい選択をせまられるのです。


心を入れ替え、子分としてまたは舎弟として組や一家の為に貢献して行く決意をするのか?


『もはやこれまで』と堅気に成る道を選ぶのか?


自分に長年ついて来た人間達の生活を考え、プライドを捨て組織に残るのか?


ただ…自分と親しい間柄の人間が自分よりも上の立場になると云うのは複雑な思いはあっても…


祝福出来る気持ちにも成れるかも知れません。


これもひとえにケースバイケースとも言えます。


しかし…日頃交流もなく、まして反目(ヤクザの隠語で、敵対関係を指します)の人間達にとっては、死活問題とも言うべき、深刻さをそこに孕む場合もあるのです。


ヤクザの世界も政治の世界と同様で、トップが変われば、大幅な人事改編が行われ、トップの意向が大きく人事にも反映される事は国家の政治に見られる人間模様と何ら変わらぬものがあります。


反主流派だった人間達は、人事面でも干され、冷や飯を食う事にも成り兼ねないのです。


そうした事は末端の組員の活動にまで影響を及ぼしかねません。



同じ系列下の組織の人間同士が資金源を巡ってバッティングする事はよくある事でもあり…


そうした場合の掛け合い(交渉事を指します)でも、主流派の組織の人間に対してそうでない組織の人間は、例え紳士的な話し合いで終始したとしても…


最後には遠慮しなければならないところへ追い込まれるのが常でもあります。
(この場合の遠慮とは相手の言い分を飲む、相手に譲歩する意味です)


この様に、末端の組員にまで影響が及び、『箸と茶碗』、言い換えれば自分の収入源にも大きな影響を及ぼす事であるがゆえに…


むかっ俺の方が組織に対しての功績があるのに、何故奴が後を継ぐんだ!!』


『あいつから盃を受ける位なら堅気になった方がましだわい!』


『なんで今まで五分で渡り合って来たワシが、あいつの若い衆(子分)にならんとアカンノヤむかっ!!』


と言った具合に争いに繋がる火種を生み出し、後にはこうした事が因果を為し、大きな抗争に発展する事もあるのです。


話しは変わりますが…


一般に極道と云うと、本妻が居ても、愛人を他にも囲っているのでは?と思う人が多いのかも知れません。


確かに『親分』と呼ばれる様な人は、本妻の他に数人の愛人がいる場合が多い様です。


本妻は周囲からは(姐さん・ネエさん)と呼ばれますし、愛人にあたる女性も同様だったりします。



また本妻と愛人の区別をつける為に、下に付いている者同士の間では、ひそかに本妻を『本宅』、もしくは『大姐・オオネエ』と呼ぶ事もあります。


本妻がいて愛人もいると云うのは、世間一般の概念に照らせば「不倫」であり、女性の皆さんにはさぞかし理不尽に感じる方も多いかも知れません。


これは意外に思われるかも知れませんが、私が若い頃から見てきて、その世界で成功している親分と云うのは、とても本妻を大切にする人でもあった様な気がします。


いつ自分の夫が警察に捕まるやも知れぬと云う不安や恐れ…


夫に愛人がいると分かっていてもそれを誰にも相談できぬやるせなさ…


逮捕された若い子の差し入れや、残された家族の面倒を見る事などへの物心両面での負担など…


神経の休む暇などありません。


長年連れ添って行く中で、若い時分、食べて行くのが大変な時期、姐さんと呼ばれる人は…


持ち物を質に入れたり、恥を忍んで実家からお金を無心してきたりして…ヤクザである夫を助け、下の人間の面倒まで見てきたケースもまた多いのです。


そうした夫婦の遍歴と云うものを男が忘れるはずもなく…


例え、愛人の存在が居ても、心の中での順位というものがあれば、『本妻が一番』なのです。


周囲からは『姐さん』と呼ばれ、夫を慕う人間達に弱いところは見せられません。


しかしながら、素の部分ではひとりの女性に過ぎず、言い様のない葛藤や苦悶を経験したに違いないのです。


極道と云うのは周囲に対する見栄もあり、愛人を設けたりしますが、一概にとは言えずとも、そのほとんどが自分の力が落ちた時に…


『金の切れ目は縁の切れ目』とばかりに離れて行ってしまうものです。


男には帰巣本能があり、本妻はワガママを聞いてくれる母親の様に思えるものなのかも知れません。


苦労をかけた女房の意見は自然と聞く様になるものなのです。


【つづく】