スカイプのカウンセリング終了!ありがとうございました。
今日でスカイプでのカウンセリングを終了します。
正直なところ、少し後ろ髪引かれる思いもあります。笑
短い間でしたが、スカイプのセッションを通して色々な出会いもありました。
あくまでプライベートな事でもあり、記事にはUPしませんでしたが、PCのスピーカーを通して聞いているこちらが…
「よくぞ、そこまで語ってくれた…。」と思える程に、他人には聞かれたくない様な、普通であれば、生涯胸の内にしまっておきたい拭いきれないほどの『心の傷』を…
赤裸々な思いと共に私にぶつけてきた方もいました。
(;~∧~;)
長い年月、他者から、そして自分自身からさえも虐げられてきた深い闇…そうした一筋縄ではいかない重いエネルギーを感じる方もいたりもしたものですが…
(-.-;)
でも、そうした方をカウンセリングしている時、私は人間と云う生き物の素晴らしさを目の当たりにしている時でもあります。
過去に受けた心の傷にあぐらをかく』かの様に、『そこから抜け出せない!』と訴えても…
今の自分自身の置かれた現状が、借金苦や病、人間不信に支配されていると涙ながらに話していても…
その方の「真の自分」とも云うべき「魂」は全く別の決断をしているものをお見受け出来る時があります。
それはその人のオーラやチャクラの色や状態に現れ、時にはその人自身が気付いていずとも…
その方のエネルギーは嘘をつかないものです。
自分自身で手枷足枷をしてどうにも新たな一歩、新たな人生に踏み出せないと頭では考えてはいても…
その奥深いところでは『今こそ新たな生き方にシフトするんだ!お前はやれるんだ!』と叫びを上げている状態の様に、そのエネルギーが教えてくれているかの様な場合も多く…
こうした頭で考えるマインドと、真の自分からくる声がせめぎ合い、そこに生み出される落差が、猛烈な葛藤を生みだしたりもするものです。
自分の霊性を高める決意をされた方が、眠気や疲労感、言い知れぬ不安や孤独感にとらわれたり…
自分のもっとも嫌いな思考や感情、行動のパターンを繰り返してしまい、進歩がない様な錯覚に陥る時期があるのも…
『新たな自分に踏みだす為に』
『それらを乗り越える為に』
繰り返し繰り返し目の前にトラウマとなっている事を浮上させてくるのではないでしょうか?
私などは今でこそ僧侶としてヒーラーとして癒しの仕事に携わっていますが…
以前は長年極道の社会にいた人間です。
二律背反とも言える世界でもありました。
『清濁合わせ呑む』と云う言葉がある様に、当時の私の感覚で言えば、にこやかに握手して別れた相手でも…
自分の信じ生きる道の上であれば、『殺ってこい!』と私についてきた人間に命じただろうし…私自身もそうした間尺にあわない事も平気でやってのけたに違いない人間だったのです。
しかしながら…私は最後の服役となった時に、『神との対話』と云う本を読んだ時に…
それこそ『神』というものからガツン!と一発喰らってしまったのです。
出所後、堅気になり、紆余曲折の後に得度し、密教僧侶ヒーラーとして生きる決意をした時から、膨大な乗り越えなければならない自分自身の負のエネルギーに直面するハメになったのです。
それは時に嫌になる程に…
『アホクサこれなら極道の方が何倍もエエワイ!」と…
何度投げ出そうと思ったかわかりません。
見栄や虚勢、短気で癇癪持ちのそれまでの自分の性分と言うもの
重箱の隅をつつくどころか…重箱を逆さにひっくり返して振りまわすくらい、他人を責める厳しさもあったのです。
こうした自分が過去に繰り返してきた、思考や感情、行動のパターンによりもたらされたもの
数々の軋轢や憎しみや人間関係の破綻を経験させたそれが『何だったのか?』私は嫌が上にも気付かされたのです。
得度する何年も前から手前勝手に始めていた行と云うものにも疑問符が出始めた時がありました。
大元帥明王や不動明王、毘沙門天と並べ立てたはいいが…うがった見方をすれば、怨敵調伏や先勝祈願で崇められた神である事にあぐらをかき…
自分の短気で荒い性格を肯定してくれる様な…まるで鎧や兜をかぶり剣を構える様な気持ちで、仏に手を合わせていたのではないのか?と…
仏に名を借りた自らの優越感を満たす信心だったのではないか?など…
葛藤、そこから感じる自分に対する矛盾というものが、四方八方から押し寄せてきた感があったものでした。
この頃の私は「神とはなんだ?』「仏とはなんだ?」と自問自答し、一度お堂に入れば5時間も、修法壇に座りっきりで出てこない日も続きました。
今となっては懐かしい気さえしますが…笑
過去にいた極道の世界も自分にとって、完璧で必然な学びのレッスンだったと思える様になりました。
私は人の死、非業の死というものも見てきた様な気がします。
人間の裏の裏とでも言うところや、派手なアクション映画とはほど遠い、人間が迎える本当の修羅場も見てきました。
そうした事を考える時、ヒーラーとしての私の今の為に、自らの魂が、望んでそうした経験を選択させた様な気がします。
そうした事から言うと、私はコアでディープな人に向いたヒーラーなのかも知れませんね。
どんな問題に直面していても、今までだってそれと同等、それ以上の事を乗り越えてきたあなたのはずです。
私達の周りで日常起きる事象の全てに…
喜びや悲しみ、不安や恐れ憎しみや嫉妬というものを『色づけ』をしているのは自分でしかありません。
出来事をコントロール出来ないのだとしたら…
自分の視点を変える事で、起きた事の『その後』に雲泥の差が出るとは思えないでしょうか?
怒りや憎しみ、嫉妬や恐れを友として生きて行くのか?
微笑みや許し優しさや愛を友として生きて行くのか?
いつも私達に問われている事でもあります。
スカイプのカウンセリングを受けて下さった方達、本当にありがとうございました。
何名もの方がカウンセリング終了後に、感想やこちらのブログの紹介記事を書いて下さいました。
本当に感謝の念に堪えません。
ありがとうございました。
合掌
正直なところ、少し後ろ髪引かれる思いもあります。笑
短い間でしたが、スカイプのセッションを通して色々な出会いもありました。
あくまでプライベートな事でもあり、記事にはUPしませんでしたが、PCのスピーカーを通して聞いているこちらが…
「よくぞ、そこまで語ってくれた…。」と思える程に、他人には聞かれたくない様な、普通であれば、生涯胸の内にしまっておきたい拭いきれないほどの『心の傷』を…
赤裸々な思いと共に私にぶつけてきた方もいました。
(;~∧~;)
長い年月、他者から、そして自分自身からさえも虐げられてきた深い闇…そうした一筋縄ではいかない重いエネルギーを感じる方もいたりもしたものですが…
(-.-;)
でも、そうした方をカウンセリングしている時、私は人間と云う生き物の素晴らしさを目の当たりにしている時でもあります。
過去に受けた心の傷にあぐらをかく』かの様に、『そこから抜け出せない!』と訴えても…
今の自分自身の置かれた現状が、借金苦や病、人間不信に支配されていると涙ながらに話していても…
その方の「真の自分」とも云うべき「魂」は全く別の決断をしているものをお見受け出来る時があります。
それはその人のオーラやチャクラの色や状態に現れ、時にはその人自身が気付いていずとも…
その方のエネルギーは嘘をつかないものです。
自分自身で手枷足枷をしてどうにも新たな一歩、新たな人生に踏み出せないと頭では考えてはいても…
その奥深いところでは『今こそ新たな生き方にシフトするんだ!お前はやれるんだ!』と叫びを上げている状態の様に、そのエネルギーが教えてくれているかの様な場合も多く…
こうした頭で考えるマインドと、真の自分からくる声がせめぎ合い、そこに生み出される落差が、猛烈な葛藤を生みだしたりもするものです。
自分の霊性を高める決意をされた方が、眠気や疲労感、言い知れぬ不安や孤独感にとらわれたり…
自分のもっとも嫌いな思考や感情、行動のパターンを繰り返してしまい、進歩がない様な錯覚に陥る時期があるのも…
『新たな自分に踏みだす為に』
『それらを乗り越える為に』
繰り返し繰り返し目の前にトラウマとなっている事を浮上させてくるのではないでしょうか?
私などは今でこそ僧侶としてヒーラーとして癒しの仕事に携わっていますが…
以前は長年極道の社会にいた人間です。
二律背反とも言える世界でもありました。
『清濁合わせ呑む』と云う言葉がある様に、当時の私の感覚で言えば、にこやかに握手して別れた相手でも…
自分の信じ生きる道の上であれば、『殺ってこい!』と私についてきた人間に命じただろうし…私自身もそうした間尺にあわない事も平気でやってのけたに違いない人間だったのです。
しかしながら…私は最後の服役となった時に、『神との対話』と云う本を読んだ時に…
それこそ『神』というものからガツン!と一発喰らってしまったのです。
出所後、堅気になり、紆余曲折の後に得度し、密教僧侶ヒーラーとして生きる決意をした時から、膨大な乗り越えなければならない自分自身の負のエネルギーに直面するハメになったのです。
それは時に嫌になる程に…
『アホクサこれなら極道の方が何倍もエエワイ!」と…
何度投げ出そうと思ったかわかりません。
見栄や虚勢、短気で癇癪持ちのそれまでの自分の性分と言うもの
重箱の隅をつつくどころか…重箱を逆さにひっくり返して振りまわすくらい、他人を責める厳しさもあったのです。
こうした自分が過去に繰り返してきた、思考や感情、行動のパターンによりもたらされたもの
数々の軋轢や憎しみや人間関係の破綻を経験させたそれが『何だったのか?』私は嫌が上にも気付かされたのです。
得度する何年も前から手前勝手に始めていた行と云うものにも疑問符が出始めた時がありました。
大元帥明王や不動明王、毘沙門天と並べ立てたはいいが…うがった見方をすれば、怨敵調伏や先勝祈願で崇められた神である事にあぐらをかき…
自分の短気で荒い性格を肯定してくれる様な…まるで鎧や兜をかぶり剣を構える様な気持ちで、仏に手を合わせていたのではないのか?と…
仏に名を借りた自らの優越感を満たす信心だったのではないか?など…
葛藤、そこから感じる自分に対する矛盾というものが、四方八方から押し寄せてきた感があったものでした。
この頃の私は「神とはなんだ?』「仏とはなんだ?」と自問自答し、一度お堂に入れば5時間も、修法壇に座りっきりで出てこない日も続きました。
今となっては懐かしい気さえしますが…笑
過去にいた極道の世界も自分にとって、完璧で必然な学びのレッスンだったと思える様になりました。
私は人の死、非業の死というものも見てきた様な気がします。
人間の裏の裏とでも言うところや、派手なアクション映画とはほど遠い、人間が迎える本当の修羅場も見てきました。
そうした事を考える時、ヒーラーとしての私の今の為に、自らの魂が、望んでそうした経験を選択させた様な気がします。
そうした事から言うと、私はコアでディープな人に向いたヒーラーなのかも知れませんね。
どんな問題に直面していても、今までだってそれと同等、それ以上の事を乗り越えてきたあなたのはずです。
私達の周りで日常起きる事象の全てに…
喜びや悲しみ、不安や恐れ憎しみや嫉妬というものを『色づけ』をしているのは自分でしかありません。
出来事をコントロール出来ないのだとしたら…
自分の視点を変える事で、起きた事の『その後』に雲泥の差が出るとは思えないでしょうか?
怒りや憎しみ、嫉妬や恐れを友として生きて行くのか?
微笑みや許し優しさや愛を友として生きて行くのか?
いつも私達に問われている事でもあります。
スカイプのカウンセリングを受けて下さった方達、本当にありがとうございました。
何名もの方がカウンセリング終了後に、感想やこちらのブログの紹介記事を書いて下さいました。
本当に感謝の念に堪えません。
ありがとうございました。
合掌
おはようございます!
※写真は吉祥天女仏画です。
ただ今は、朝一番の瞑想を終えて一息ついているところです。
こないだまで冬に逆戻りしたのではないか?と思う程に寒い日が続いたかと思えば、今度は全国的に夏を思わせる様な暑い日が続いてみたりで…
体調を崩してしまわれた方もいるのではないでしょうか?
ここのところ、何かと忙しく(浄霊の仕事等)ブログの記事を思う様に書けない日が続いています。
今日はお勤めを終えた後、新宿まで行ってまいります。
今後、新宿御苑にある『占い&ヒーリングスペース桜』にて、ヒーラーとしての活動も始めます。
(この件は後日書きますね!)
今日は吉祥天(ラクシュミー)ご縁日!
生気の失せた鳩山サンの顔にウンザリしている皆さんに…至福の嵐を吹かせてもらうべく、大好きな吉祥天様にお祈りするばかりです(笑)
いつも私の記事を読んで下さる読者の方達
私のブログの更新を心待ちにしていて下さる方達
暖かいコメントや励ましのメッセージを下さる方達
いつも、本当にありがとうございます。
日本国安泰・五穀豊饒と共に読者の皆様の御多幸をお祈り申し上げます。
合掌
おはようございます!八百万の神の国・日本に想う事
ようやく春らしい穏やかな暖かい日が続く様になってきた感のある今日このごろですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
昨日一日は朝の勤行を終えた後、近所の氏神様や八幡神を祀る神社にご挨拶に行ってきました。
お寺や神社と言うと、冠婚葬祭を除けば、全く関係のない無縁の物と考えている方が多いのではないでしょうか。
その昔…明治になり天皇を現人神とする国家神道が確立されるまでは、密教僧が、神社の神主や宮司さんを兼任していた時代もあった様です。
高野山やその他の多くのお寺の敷地内には、神社が設けられている事にお気付きの方も多いと思います。
過去には廃仏棄釈と言う悲しい歴史もあったりしましたが…
八百万の神の国日本はその歴史の中で、日本土着の神道の神と仏教伝来による仏を見事に融合させてきた歴史があります。
インドをその起源とする仏教を受け入れ、排斥する事なく、日本古来よりの神と共に崇敬する柔軟な感性と言うもの…
そして美しい日本の四季というものが、大陸の文化とは違う、慎み深く情けに厚い日本人の気質や心情の機微に影響を与えてきた様な気がします。
ところで…
私がお会いする方の中には、「どこのお寺や神社に行けば開運効果があるのでしょうか?」と盛んに聞いてくる方がいたりもします。
ところが…話しを聞いてみると、私が一生かかっても周りきれないほどに、ご朱印帳を片手に熱心にお寺や神社巡りをされている方でもあったりします。
お寺や神社に詣でる事は大変良い事なのですが、自分の『心の持ち方』に気を付ける必要もあるのではないでしょうか?
残念ながら…自分自身の中に欠乏感や今の現状に不足や不満、飢えがある時は、神仏にどれだけ祈りを捧げても目立って開運効果があるとは思えません。
何故かと言えば…そうした欠乏感や不安といった感情は奥深く潜在意識にまで、そうした『同様の事象を引きよせる磁石』を作ってしまっている場合が多いからです。
自分自身の思考…そこからくる自分の日常の多くの時間を占めている感情やフィーリングというものが、自分の現実を創造していると考えて良いのではないでしょうか?
こうした事は、神社の神や、寺院の仏に対する祈りやその効験にも影響を及ぼすのではないでしょうか。
神仏に対する祈りは『シンプルな感謝』が一番良い様な気がします。
豊かさを求めるなら「私を豊かさに導いて頂きありがとうございます」といった具合に…
すでに待ち望む自分の現実が訪れている事に対し、感謝するかの様な心境で手を合わせるのも、願望実現の為の良い祈り方かも知れません。
ただ…祈りの言葉を取り繕っても、その奥深いところ(何を意図して人生を生きているのか)を覗き込み嗅ぎ取るのが、神や仏なのかも知れませんが…笑
神社巡りも結構なのですが、不安や恐れで、地に足のついていない状態で訪れると…
神社の御神気に縋って集まる未成仏霊を…ダッコしてオンブして家に連れ帰る事に成り兼ねないので、自分の気分や体調を良く知った上で参拝する事も大切かも知れませんね。
合掌
昨日一日は朝の勤行を終えた後、近所の氏神様や八幡神を祀る神社にご挨拶に行ってきました。
お寺や神社と言うと、冠婚葬祭を除けば、全く関係のない無縁の物と考えている方が多いのではないでしょうか。
その昔…明治になり天皇を現人神とする国家神道が確立されるまでは、密教僧が、神社の神主や宮司さんを兼任していた時代もあった様です。
高野山やその他の多くのお寺の敷地内には、神社が設けられている事にお気付きの方も多いと思います。
過去には廃仏棄釈と言う悲しい歴史もあったりしましたが…
八百万の神の国日本はその歴史の中で、日本土着の神道の神と仏教伝来による仏を見事に融合させてきた歴史があります。
インドをその起源とする仏教を受け入れ、排斥する事なく、日本古来よりの神と共に崇敬する柔軟な感性と言うもの…
そして美しい日本の四季というものが、大陸の文化とは違う、慎み深く情けに厚い日本人の気質や心情の機微に影響を与えてきた様な気がします。
ところで…
私がお会いする方の中には、「どこのお寺や神社に行けば開運効果があるのでしょうか?」と盛んに聞いてくる方がいたりもします。
ところが…話しを聞いてみると、私が一生かかっても周りきれないほどに、ご朱印帳を片手に熱心にお寺や神社巡りをされている方でもあったりします。
お寺や神社に詣でる事は大変良い事なのですが、自分の『心の持ち方』に気を付ける必要もあるのではないでしょうか?
残念ながら…自分自身の中に欠乏感や今の現状に不足や不満、飢えがある時は、神仏にどれだけ祈りを捧げても目立って開運効果があるとは思えません。
何故かと言えば…そうした欠乏感や不安といった感情は奥深く潜在意識にまで、そうした『同様の事象を引きよせる磁石』を作ってしまっている場合が多いからです。
自分自身の思考…そこからくる自分の日常の多くの時間を占めている感情やフィーリングというものが、自分の現実を創造していると考えて良いのではないでしょうか?
こうした事は、神社の神や、寺院の仏に対する祈りやその効験にも影響を及ぼすのではないでしょうか。
神仏に対する祈りは『シンプルな感謝』が一番良い様な気がします。
豊かさを求めるなら「私を豊かさに導いて頂きありがとうございます」といった具合に…
すでに待ち望む自分の現実が訪れている事に対し、感謝するかの様な心境で手を合わせるのも、願望実現の為の良い祈り方かも知れません。
ただ…祈りの言葉を取り繕っても、その奥深いところ(何を意図して人生を生きているのか)を覗き込み嗅ぎ取るのが、神や仏なのかも知れませんが…笑
神社巡りも結構なのですが、不安や恐れで、地に足のついていない状態で訪れると…
神社の御神気に縋って集まる未成仏霊を…ダッコしてオンブして家に連れ帰る事に成り兼ねないので、自分の気分や体調を良く知った上で参拝する事も大切かも知れませんね。
合掌