確かにいじめた児童や、いじめを防ぎきれなかった教師
は悪いけれども、あなたが書いていらっしゃる内容もコメ
ントしてる方の内容も、低レベルな批判であんまりひどす
ぎるのでは?
いじめた児童をいじめようとしていますよね!
それがいじめのはじまりです!
あなた方も所詮いじめる側の人間なのでは?
上の記事は、先日桐生市の新里東小学校で起こった
苛めによる児童の自殺者が出た事に対する小生の記
事へのコメントである。
このコメントについて、小生の考えるところを少々述べ
てみたいと思う。
確かにこの記事を書くに当って、現実の学校
の様子を知らないで記事を書く事には抵抗が
ありました。
しかしながら、児童の児童による苛めによっ
て、一人の児童の命が奪われた事に変わり
はありません。
そして、この事実は児童が児童だけで生んだ
悲劇でも有りません。
この児童達(苛めの首謀者を始とする加担者)
は、苛めを誘発する親の教育、躾により、そん
な行動を取ったと思われます。
ですから、単に児童を責めているのでは無く、
その親達にも当然連帯責任があり、むしろ彼
らの方により大きな罪があり、彼らの落度をよ
り責めているのです。
現代社会は、人の気持や心を大事にすると
か、尊重するとか言って言うべき事を言わず、
叱るべきを叱らず、陰でこそこそ批判や非難
する事が通例になって来ています。
人の命が奪われる、人の命に傷付ける行為が
どんなに大罪に当るかを知ら示すのは公に表
立って教えなければならない問題です。
昔の日本の家庭は、何世代もの家族が一緒に
生活していたため、祖父母であったり、叔父叔
母達が一種の教育者の役割を果たしていたの
が、今はそれを望むべくもありません。
生き抜く事は、現代社会に於いて非常に難しく
なって来ています。
小泉純一郎という人物は、弱き者は生きなくて
良いという政策を打ち出し、竹中平蔵氏と共に
弱者を切って捨てる事に奔走しました。
それ以後、日本の国民は生きるが勝ち、たとえ
罪を犯そうとも生き残った方が勝ちといった
風に、罪の意識を何処かへ置き忘れたようで
あります。
そんな事を踏まえ、今後この度の事件を忘れ
去り、人の命の重さも感じる事無く生きて行く
児童達に警鐘を鳴らしたものであります。
現代日本の社会は、徐々に秩序が乱れ始め、食事どころか
道徳観念までがグローバルスタンダード化しています。
つまりこれは良い意味での変化ではなく、真似なくて良い、真
に日本的、日本独特の精神性、大和魂までもキリスト教に売
り渡してしまうような所業なのであります。
今日本は真の分かれ道に来ています。
荷物を置いてその場を離れられ、財布を落としても交番に届
けられる社会が良いのか、常に自己責任の下に自らの持ち
物、命までもを自らが管理せねばならぬ社会が良いのか選
択の時が来ていると言えます。