先日、恐らくTBSだったと思うのですが、最近の若者の働き方に関する


特集番組を放送していた。


内容は、置いといて、自らの若かりし頃の姿を思い出していた。


現代は、ニートと呼ばれる、定職に就かない、いや、就こうとしない若者


を、我々の時代は、モラトリアム人間と呼んでいた。


モラトリアム人間とは、辞書を調べると、下記のように示している。


"年齢では大人の仲間入りをするべき時に達していながら、精神的には


だ自己形成の途上にあり、大人社会に同化できずにいる人間。"


確かに、ある程度は、そう、なのかも知れないが、実際、そうであった人


間から言わせると、若干違うような気がする。


即ち、そういう人々が、全て大人社会に同化で出来ないのではなく、む


しろ、大人社会への猜疑心というか、懐疑の念が、自分を、日本型の社


会形態への参加を拒ませていると言った方が適切かと思われる。


つまり、現代日本の大人社会と言われている、社会への反抗が、そこに


ある。


この社会を肯定するも、否定するも、個人の自由である、ただ、時間は常


に止まる所を知らずに流れ続け、否応無く、人間の身体だけは成長して


行くのであり、人は、常識的に大人の大きさになった人間を、社会的に


一人前の人間として扱おうとするのである。


ニートやモラトリアムと言われる人間は、別に、自分を過大評価している


のでは無く、また、知識や能力に於いても、劣っているどころか、むしろ


卓越した、見識を持っている者も、少なくない。


50数年間生きてきて、その大半、いや、今でも尚、モラトリアム人間とし


て生きているおじぃだから言えるのかも知れないが、人間の生き方に正解


など無い以上、人がどう生きようが勝手である。


ただし、そこには、覚悟が無くてはならない、つまり、社会に反抗して、生き


ている以上は、その最たる敵である国家権力に助けを求めるな、である。


何かと、最近は、何でもかんでも、困った者は助けにゃならん式に、マスコミ


も報道するが、社会に反抗しようとする者達に何を以って助けようと言うのだ


ろうか・・・???


真に反抗する者たちならば、己の道は、己が切り開いて行く位のエネルギー


は、余りあるほど持っているのである。


もし、そうでないならば、それは、ニートやモラトリアムではなく、ただの箱入り


ボンボンに過ぎないのである。


つづく