最近、世の中がどんなに薄汚れた汚いものであるかを理解せずに、やたら自国のみが清廉潔白であるかのような主張が目立っている。

要は、人間などと言う者は、どいつもこいつも根底にはしっかりと汚らしい性根を持って生まれているのであり、環境が整えば何をしでかすか解らない狂気を秘めているのである。

人間を平等に見れない人間が、己だけは、自国だけは、と、どれだけ主張しようとも、何処の国にも善人は居り、何処の国にも悪人が居るのである。

そして、その善人も悪人も極限の状況に立たされた時、その本性を現すのである。

人間を平等に扱うと言う事は、まず、人間の本質がいい加減で、汚らわしいもので或る事を認識し、その人間がどうすれば、呪われた素性を発揮せずに生きられる環境を作れるのかを考えなくてはならない。

所詮、地球も何時かは、宇宙の藻屑となって消え去る運命にある儚き天体の一つに過ぎず、日本だアメリカだ中国だロシアだヨーロッパだなどと戯言を言っている事は、実に無駄であり、もし神様が存在するのであれば、さぞかし腹を抱えて大笑いしている事であろう。

たとえ、どんなに憎しみ合い、傷つけ合う人間同士でも、この世に、その二人だけになってしまえば、助け合って生きていなければならない。
そうでなければ、人間一人を人間とは呼べないのであり、相対する一組の人間がいてこそ、初めて人間という認識が生まれるのである。

他者を批判すると言う事は、同時に、自分の在り方を問う事であり、他者を認識するからこそ、自分を自分として認識できるのであるから、常に他者を批判する中には、自分への自戒が込められているのである。

但し、何でもかんでも、唯、自分達だけに利があり、他者は全て悪者だとする考え方に固執する人々にはその悪者と自分達の内に居る悪者が吊るんで汚い世界を創っている事など到底認める事が出来ないのである。

何れ、大人となって世の中にデビューするであろうその時、彼らは世の中の不条理さを身を以って知らされる事になるであろう。