その中でも強烈で、今でも忘れられない発言がある。
テレビで戦争か事故だったか、さだかには覚えてはいないが、
人々が亡くなってしまったというニュース報道が流れていた。
それを見ていた父は、こう言った。
「死んでしまえばいいんだ」
え…!!
おもわず「えっ? え!?」と聞き返した。
すると、父はこんな見解を話始めた。
「今、この現代は人間が多すぎるんだ。
こんな出来事でもないと人口調節はできないんだ」…と。
まじめにこの言葉をうのみにすれば、
テロにも発展しそうな怖さがあるが、
父はセカンドバックを小脇にかかえ、
かっこいいと思い込んでるキャップをかぶり、
7:3分けした、ただおやじである…。
そして最近も軽く冷めた発言をかましてきた。
親戚の結婚式に主席したときである。
新婦が家族への感謝の気持ちを手紙を読みながら伝える、感動の場面でのこと。
みんなが涙を流すなか、
父がぼそっとつぶやいた
「結婚式は一時的な感動だからな」
昔はなんて人なんだと思っていたが、
今ではこのような発言に対してなんの動揺もなく、
おーまたもきた、と楽しみでさえある。
いまでも父がほんとうは何を考えているのかはわからない。
本気で笑った顔も見たことがない気がする。
だが、そんな父でも、いきなり髭ダンスのような踊りを始めることもある。
こんな一面も理解不能さを深める要因だ。

同じ血でありながら親子というのは他人よりも遠いときがある。
そして、自分では気がつかないところで同じ思考や行動をとっている。
理解不能な人間に魅力を感じるのは父のせい、
あるいは父の血を引いているからかもしれない。