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この世紀末の雰囲気、もう笑うしかない。

半世紀にわたり、  市民の生活道として

橋渡しをしてきた 踏切が3月25日

その役目を終えた。





今後は、

すでに完成利用されている

歩行者用の通路と

同日開通した アンダーパス (地下道)が

その役目を 担うことになる。




市民と踏切~渡りたくない踏切~



戸塚の大踏切は、地元では 


開かずの踏切として有名で


市民はなるべくなら通りたくない道路と言われていた


西口から東口へ 渡るのに


最大57分間もかかる


その為なのか、地元民は 西と東では 


雰囲気が異なり 違う街に見えるという。





西口と東口の文化形成




推察するに、


なるべくなら通りたくない踏切であるのであれば


そこで 行き来 は分断されてしまう


すると、必然的に 東と西の人々は交流をもつことが少なくなり



そこで個々に文化が形成された結果


雰囲気が違う・・ 


ということになったのでは 

ないだろうか





都市再開発でも、こうした問題が


背景にあり  西と東で別々に考えた方が


便宜上やり易い・・  


行政がこういった考えになったとしても


不思議ではない。





実際に、西と東では


再開発の時期などバラバラで


一体した都市計画が実行されているとは言い難い。



やはり、この踏切問題が大きな要素となっている


ことは確かであろう。




市民の声



しかし、50年以上も慣れした親しんだ踏切がなく


なると寂しいとの声も多く


25日の夕方、大踏切封鎖の時刻になると


辺りは 「ありがとうー!」と叫ぶ


群衆でうめつくされていた。


不便の反面、長年共にしてきた


生活道路の封鎖に 涙を流す人も見受けられた。







その中の人に話を聞くと


 踏切を


待っている間に居合わせた人たちと


仲良くなり、毎朝挨拶をする仲になった  という人もいた






負の遺産と言われる開かずの踏切で


 
そこにコミュニティーが生まれていた


のである



踏切はマイナスばかりではなかったのだ






別れゆくモノの 良点が

晒される皮肉は  ヒト社会の其れと変わらないのは

憂うべき真実なのか・・ 












そんな感傷に浸る この街も


思い出を大切にしつつも この日から


新たな生活が始まる。




別れの季節は、人と人もそうだが


人と物との関係も


思いによって、人以上の存在になり得る



このできごとは、私にそんなことを 教えてくれた




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戸塚の踏切問題は、戦後間もなくから


開かずの踏切問題として 新聞やTV各メディアに


取り上げられていた。


今回は、そんな 戸塚の大踏切問題の問題点に絡めて


これからの踏切について考えてみようと思う。


そこには、麻生太郎現外務大臣の 祖父である


元総理大臣:吉田茂との意外な接点があった。






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負の遺産


急速に都市化が進み

立体交差や、地下鉄道にするより


コストも安いため


作られた踏切。












しかし、いまでは












渋滞が起こりやすい


事故が起こりやすい


緊急車輌の妨げになる







などの観点から、負の遺産とも言われている。









開かずの踏切




その中でも


生活民たちの切実な問題


「開かずの踏切問題」。






ちょっとした都市部ならどこにでもある


開かずの踏切であるが


本当に開かないのか?


開かないのであれば踏切としての役割が果たせないのでは


ないか  との疑問に 国土交通省は定義を出している。







開かずの踏切の定義




国土交通省が定めた定義によると


1時間の内、40分以上開かないものを


いう。


開かずと言っても、まったく開かないという訳ではなく


「開かずと言っても、過言ではない・・」というくらいの


ニュアンスの様だ。








先に書いた 戸塚の踏み切りは57分であるから

僅か3分しか  開いていないことになる


この定義から見ても  開かずと言って過言ではない


 相当な ものだったと言える。












吉田茂と戸塚大踏切





以外にも思えるのだが、ここに


元首相の吉田茂が絡んでいる。


吉田茂は、当時 


神奈川県大磯町に住んでおり


そこから東京方面に抜けて 国会に通っていた





当時、大磯から東京方面に行くには


国道一号線しかなかった。


その途中に、どうしても 


通らなければならない 踏切があったのだが


その踏切の待ち時間が長くて


国会に遅刻してしまったというエピソードがあるのだが



その踏切こそが、戸塚の大踏切である。


このことから

戸塚の大踏切を迂回させ


通した道路が 横浜新道 で 


当時の吉田首相のワンマン首相との


異名から


ワンマン道路とも言われている。








踏切は今後はつくられなくなる?



現在踏切は、二つの法律により



 道路との平面交差を禁止し



また、立体交差にするという 



明文規定があるので 基本的につくられることはない。


当時としては、安価で急成長に追いつくため


とりあえず的な対処方であったので 


今後は無くしていく方針をとっている 









今後の展望


今後は電線の地中化同様、 線路も上や下に

なる時代になるのだろう。

鉄道会社としては、地下に潜らせると

工事費の増大や

そのあとの 湧き出る地下水を汲み上げたりと

コストがかかるため  消極的というのが現状だ




踏切問題から社会をみた

吉田茂が こんなところに でてくるのは

面白い史実で 

当時の政治家の力を象徴する エピソードである

それと同時に

当時の日本経済の勢いを感じることができる

成熟期に差し掛かり 

経済成長が失速することは

しかないことかもしれない

事業の方向性も変えていくことが求められる





チョコパイパーティー

シルベーヌパーティー


リッツパーティー


この3つを庶民の王室気取り三大パーティーという。


中でも、有名なのがリッツパーティーであるが 主催者の沢口靖子は
リッツは口がボソボソになるからと
言い訳をして
ワインを飲み過ぎて 終盤はパーティーがメチャメチャになるとの噂があるが
真偽は定かではない。


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歴史



80年代、庶民のセレブへの憧れは強く

とりあえず、ご家庭でもパーティーを!

ということで、始まったのがリッツパーティーである。




そこに追従した形で、チョコパイ、シルベーヌが 加わった。


近年では、ルマンドやパイの実が 常任パーティー入りを果たしたが 議決権はない。



たけのこの里や、きのこの里も
常任パーティー入りを企てるも
「ちょっと安っぽい…」と 言われ
断念せざるをえなかった。






トッピング


シルベーヌ、チョコパイはすでに
チョコレートでコーティングされている為問題とはならないが、

リッツにあっては、
「のせてナンボ」と沢口靖子がうるさいので
パーティー参加者は、リッツの具を持ち寄ることが暗黙のルールである。


のせる際には、「失礼します、オンザ、リッツ!」と元気よくのせることが
礼儀である。

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リッツパーティーの現状


近年、リッツパーティーの主催者が
減少傾向にあり
のせる具材も、サラミ、チーズなど
定番ものから ペースト状のソーセージパティ等 に変わってきている。



刺激を求めるあまり、うにやくらげ、塩辛など 海産物をのせたり、
オンザ高菜チャーハン、小籠包など
「闇リッツ」傾向が止まらないのが現状である

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禁止事項

禁断の禁じ手、リッツ オンザ リッツは固く禁止さている。

また、沢口会長は「リッツの上にのせることはあっても、のることは 許されない」
と 落っこちたリッツを 踏んだ会社役員の男性を平手打ちした エピソードは有名である。






さぁ、あなたも
失敗は赦されない
リッツパーティーへようこそ…
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