またもや書籍GRITの話なんですけど、以前書いたブログを反芻していたら、なんだか妙に気になる文言がありまして






『「知的能力に関する考え方」について、次の各コメントにどの程度賛成か考えてみよう。
- 1。知的能力は人の基本的な性質であり、ほとんど変えることはできない
- 2。新しいことを学ぶことはできるが、知的能力自体を向上させることはできない
- 3。元々の知的能力のレベルに関わらず、かなり向上させることができる
- 4。知的能力は常に大きく向上させることができる
1、2に賛成の人:固定思考。実は自分には才能があると思っている人が多い。いつか必ず困難にぶつかる。
3、4に賛成の人:成長思考。楽観主義と同じような役割を果たしていて、やり抜く力と比例する。』
抜粋終わり
あれ?
明らかに、3、4の「成長思考が良い」って頭では分かるのに、私の頭の中は2と3の中間…。
なぜだろう?
しばらく反芻しているうちに、どうやら子供の頃にかけられていた言葉が原因にあるように思えてきました。
そう言えば、
「あなたは頭がいいね」
「あなたは手相がいいね」
「あなたは名前の画数がいいね」
「あなたは運勢が良いね」
みたいに、どの言葉にも自分の努力に対する評価がなかったような気がします
(まあ実際のところ、あんまり努力してなかったようにも思うけど)
この本曰く、子供の頃の「褒められ方」が一生を左右するのだそうで、大人になってから成功や失敗をしたとき、その原因を自分の才能に結びつけるか、それとも努力に結びつけるかは、子供の頃の「褒められ方」によって決まる確率が高いらしいです。
子供にかける言葉には、ただ褒めるだけではなく、「自分なりに目標を持って、以前はできなかったことをできるようにすることが大事」「人間はなんでもやればうまくなる」「人は成長する」という言葉かけが必要だということです。
もはや子供の頃の記憶なんて殆ど覚えていないので、かけられた言葉の記憶が正しいかどうかなんて定かではないんですけど




一時期、自分や社会のバイオリズムみたいなものがどうしても気になって、それが良くないと何をやってもうまくいかない、みたいな思考になっていた時期がありました。
おかしいなとは薄々思いつつも、どうしてもその思考から抜け出せない。
結局、運勢やバイオリズムはサーフィンの波のようなもので、良い波が来ていても、その波に向かって泳いでいく意思と準備と行動がなければ全く無意味なんだと、だいぶ経ってから気がつきました。



自分の人生で、いつか
- なりたい姿はあるか?
- やりたいことは何か?
を持っていること、そしてその時期が来るまで準備をしていることが運勢やバイオリズムでの良い波に乗る資格であり、良い行動につなげられるのだと思います。
そしてそんな認識をしている人が、自分の知的能力を自分の努力で大きく向上させているのでしょうね。