동인천 일제시대 역사 탐방
인천여자상업고등학교는 인천신사터..
뒤엔 일본 묘각사터妙覚寺
일제시대 화업사터는 華厳寺 지금 해광사로 되어 있고
율목도서관은 일본 사람들이 살았던 곳이 곳곳에 그 때 흔적을 남기고 살리고 사용하고 있었습니다
うちの近くの東仁川の併合期の日本の爪痕を見に行ってきた。普通に通り過ぎてた場所だらけで驚きでした。
◎仁川神社跡⛩️は今、仁川女子商業高校に。
石の柵が残ってたのを見つけた。
中は勇気がなくて入らず。
いつも行くMARTの前で変な作り方してる学校だと思ってたけど、そういうことだったのか!と納得。
高校の裏には
妙覚寺跡 パパゴ翻訳
ネガティブ文化財
日蓮宗妙覚寺は日蓮宗という日本仏教宗派の寺院で、日本による植民地時代に韓国で布教活動をした。
1895年に建物を建てたという記録があるが、位置は不明で、1922年に現在地に移転し、木造で建てられた。 妙覚寺の建物の焼失年度に対する正確な記録はないが、松島中学校が建てられ撤去されたものと推定される。 現在残っている進入階段と石柱がここに妙覚寺があったことを知らせてくれる。 妙覚寺入口の階段石柱の中で左側の石柱にはこの寺の宗派と名前を知らせる「日蓮宗妙覚寺」と刻まれており、右側の石柱には釜山に続き2番目の朝鮮に設置された妙覚寺という意味の「西店制道場」と刻まれている。 建築時期 用途 宗教 > 建築構造 木造 建築様式 日本心 日本製鋼山 (6922g) 所在地 仁川:中区 塀は30(製品量路123) ネガティブ文化財とは、自ら自負心を持つ文化遺産ではなく、外部から民族に痛みを与えた時代の文化財で、一般的に日帝の統治当時に生まれた文化財が大部分だ。 過去からネガティブ文化財は日帝の残滓という理由でまともな調査がなされなかった。 しかし、この遺跡は日帝強占という痛い歴史の断面を見せ、仁川開港場一帯の歴史的意味を共に考えることができる場所なので、保存する必要がある。
とのこと。
◎日蓮宗妙覚寺の跡地が残されていた。
布教のため1895年に建てたのち、1922年ここに移転した跡だという。残す意義があると書かれている。
◎華厳寺跡
今は韓国の海光寺に変わっている。
大正4年という文字が刻まれている。
隣の柱には 施主 荒井市蔵 妻 クニ と刻まれている。
◎日本人事業家の力武という人の別荘跡
今は栗木図書館が跡地をそのまま生かして活用している。階段なんかはもう、日本のお寺の階段のまんま。日本庭園がそのままつくられている。
花崗岩でちゃんと作られているところ、山の頂上に建てていて海を眺望できるところは横浜の開港地区とそっくりそのままだった。
街がレンガの壁があちこちに残されていて、その上からペンキで塗られているところもあったけど、残そうとしているのがよくわかった。
横浜の赤レンガと全く同じで驚いた。
やっぱり仁川は開港地区だ。














