1794年、正祖は水原に華城を築くことにしました。
この時、鄭約庸はクレーンを作り、工事期間と費用を削減しました。
華城が完成すると、正祖はますます 鄭約庸を大切に思うようになりました。
鄭約庸が正祖の愛を受けると、これを妬んだ朝廷の大臣たちが彼をカトリック信者に仕立て上げて追い出そうとしました。
官吏たちが権力を守ることにだけ精神を注ぐと、失望した鄭約庸は官職を辞して故郷に帰りました。
1800年の春、正祖の切実な願いで再び朝廷に戻りましたが、しばらくして正祖はこの世を去ってしまいました。
正祖が亡くなると、壁派は鄭約庸を江津に流し、勝手に政権を振るいました。













