独立運動 〜 1919.9.2 姜宇奎 ~ | みょんじゃさんのブログ

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命を捧げた独立闘士たち 60代で爆弾を投げたカン・ウギュ 

1919年9月2日、南大門駅(現在のソウル駅)前は人々で賑わっていました。 

多くの日本の官僚や階級の高い軍人が並んでおり、

多くの日本の警察が周囲を警備していました。 

しばらくして、駅の中から兵士が一人出てきました。 

新たに朝鮮総督となった日本陸軍大将、斉藤誠でした。

 "いらっしゃいませ、閣下! ソウルにお越しいただき、心より歓迎いたします。」 

付き添いは斉藤を馬車で案内しました。 斉藤は総督事務所へ向かうために馬車に乗りました。 

「イリャ!」 馬夫が鞭を振ると、馬が動き始めました。 その時、どこからともなく突然爆弾が飛んできました。 

 

警察と斎藤の随行員30人以上が重傷を負い、日本人記者2人はその場で亡くなりました。 

爆弾は斉藤の命を狙ったのは明らかでした。

 しかし、斉藤は服の裾が少し火に焼かれただけで、元気でした。 

"大丈夫ですか、閣下?" 

"私は大丈夫だ。 さあ、爆弾を投げた奴を捕まえろ!

 

爆弾を投げたのはカン・ウギュで、当時65歳の老人でした。 

間島で独立運動をしていたカン・ウギュは、日本の総督が交代するという知らせを聞きました。 

 

国外で活動する独立闘士たちは、新たに就任する総督を殺すための計画を立て始めました。 

カン・ウギュはその任務を引き受けると申し出ました。

 

"私の年齢はもう65歳です。年を取った体ですから、日本の警察もあまり警戒しないでしょう。だから私にその仕事を任せてください。

 

この役目を引き受けてきたパク・ウンシクは、カン・ウギュの意向をありがたく受け入れ、イギリス製の爆弾と少しの旅費を用意してくれました。

 

 "ありがとう、カン同志、無事に願ったことを......" 

臨時政府第二代大統領 パクウンシク

 

パク・ウンシクは後ろの言葉を続けられませんでした。 

 

最後の道であることをよく理解していたからです。

 カン・ウギュは日本の警察に逮捕され、死刑を宣告されました。

 この世を去る直前、カン・ウギュはこんな詩を残しました。 

 

死を前にしても、むしろ春風が吹いている。 

体はあるが国がないのだから、どうしてただ存在していたのだろう。