朝鮮時代 13代 明宗 1550年 ~ 扶安 梅窓 ~ | みょんじゃさんのブログ

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朝鮮時代に『梅窓集』や『秋史』、『春園』などを著した妓生。 詩人。 




本名は李香今(イ・ヒャンゴム)、字は天香(チョンヒャン)、梅窓(メチャン)は号である。 癸酉年に生まれたため、癸生(けいせい)と呼ばれ、また癸娘(けいじょう)とも呼ばれた。 父は阿全李湯從である。 

 



詩文と古琴に優れ、当時の文士である劉希慶・許筠・李貴らと深い交友があった。 扶安の妓生として、開城の黄真伊と共に朝鮮の名妓の双璧を成していた。

 



女性の詩人はこの時代では書くことすら隠す傾向があった。 しかも苗字を持つことができる女性はキセンだけだった。 苗字のある女性として詩を多く残した。 詩が人気すぎて全州に行けばメチャンに会いたい。 メチャンに誌を書いてもらおうとする両班がたくさんいたそうだ。 詩で恋をしていたともされている。

 

 

























ユ・ヒギョンの詩には、ケランに贈る詩が10篇ほどある。 『歌曲源流』に収められた「梨花雨(いはう)泣きながら別れた恋人」という歌詞で始まる計生の詩は、ユ・ヒギョンを思いながら作られたものだという注釈が付いている。























許筠の『惺所覆Sugar(せいしょふふご)』にも、季生と詩を交わした話が伝わっている。 そして、계생の死を聞き哀悼する詩とともに、계생の人柄についての簡単な記録が添えられている。 計生の詩文の特徴は、細く弱い線で自らの宿命をそのまま詠み、自由自在に詩語を操ることにある。 彼女の優れた詩才を垣間見ることができる。






























女性的な感情を詠んだ中で「秋思」、「春怨」、「遣懐」、「贈醉客」、「扶安懐古」、「自恨」などが有名である。 










彼女は歌舞や現金にも精通した多才な芸術家だった。 扶安の墓に碑が伝えられている。 1974年、その地の西林公園に詩碑を建立した。

 

 

202603012撮影



扶安にある墓に建てられた碑は、1655年(孝宗6年)に扶風詩社が建立したものである。 ここには1513年(中宗8年)に生まれ、1550年(明宗5年)に亡くなったと誤って記録されている。 彼の文集『梅窓集』の発文に記された生没年が正確である。 

37歳で早逝した。










扶安は美しい。。。