かかしの王(操り人形)と言われたら第二代王定宗
朝鮮を建国した太祖が王位を退き、次男の芳果が王位につく。彼こそが定宗だ。
しかし、国政はイ・バンウォン(李芳遠)の力が強かった。
定宗は国政から離れ、遊んですごした。
いつも権力を握ろうと争って命を失うのではないかと心配していた。
ある日、趙ボク조박璞(
そこで定宗は家の宮主であるユ氏を後宮に迎えた。
青年は正宗とユ氏の間に生まれた息子、불노仏奴
(ブルノ)だった。
仏奴が当然世子になるべきだと主張。
定宗は胸が騒いだ。
自分の息子を世子に立てれば、実権を握っている弟の李芳遠が黙っているはずがない。
この問題で宮廷が大混乱に陥ると、定安王后が策を練り、
「ユ氏は前夫が亡くなった後、王様のもとに嫁いできました。 だから仏奴は元夫の息子だと言って、宮殿から追い出してください。 そうすれば、その子も助かり、陛下も無事でいられます。」
定宗は自分の無力さを嘆きながら、趙조박
を呼んで
『仏奴はワシの息子ではないのに、何の理由で連れてきたのか? すぐに連れて帰れ。」
結局、仏奴は宮殿から追い出され、放浪者として過ごすことに。
第2次王子の乱の仏奴事件の後、イ・バンウォンとその部下たちは焦りを感じていた。
「このままでは誰かがまた王位を狙うでしょう」
イ・スクボンが切実に言うと、ハリュンが付け加えました。
『兄貴分の会安大君の方間の動きがただ事ではありません。」
イ・バンウォンは固く口を閉ざし、悩みに沈んでいた。
一方、イ・バンウォンの四男であるバンガン(芳幹)は王位に欲望を抱いていた。
彼を煽ったのは、イ・バンウォンに不満を抱いていたパク・ポでした。
朴浦?は鄭道伝を排除する際に李芳遠の側に立った人物で、彼が成功した後も高い地位を得られなかったため、李芳遠に不満を抱いていた。
「大君、靖安大君の芳遠が王位を狙わなければ、なぜ多くの人々を殺したのでしょうか?」
"何ですって? 兄である私がこんなに堂々としているのに、バンウォンが王位を狙っているというのか!" バンガンは怒りを爆発。。、
次の王は当然自分になると信じていたからだ。
パクポはそんなバンガンの考えを知っていて、わざわざ訪れて衝動を起こしたのです。
バンガンはすぐに私兵を率いて李芳遠の家に押し入った。
イ・バンウォンはこの知らせを聞いたが驚きもせず
「ついにきたな。 軍を起こせ」
「バンガンはイバンウォンの相手にならなかった。」
バンガンはまともに戦うこともできずに捕まえられてしまう。
李芳遠はバンガンを流刑にし、パクポは処刑にした。
1400年に起こったこの事件を「第二次王子の乱」と言う。
今、イ・バンウォンは次の王位を継ぐために自ら世弟になった。
世弟は王位を継ぐ王の弟を指す言葉だ。
すぐにハリュンやイ・スクボンらが定宗に退くよう勧めた。
「王様、体調が優れないのですから、景色の良い場所で休養されるのはいかがでしょうか?」
「国の仕事は世弟がやってるからそうするつもりだ。」
定宗は1400年に自ら王位を退いた。
その後、定宗は格闘を楽しみ、遊覧をしながらが1419年にこの世を去った。
王陵は2代王 夫婦は北朝鮮にある。




