中国 ~ 1950年 朝鮮戦争 ~ | みょんじゃさんのブログ

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歴史オタク韓国中を旅しています。

1950年6月25日  北朝鮮軍が攻撃を開始し、韓国軍と米軍を圧倒。釜山まで追い詰めた。

+金日成が先に仕掛けたと最近の議論でわかっている。

+スターリンに手紙を送り、侵攻許可をもらっていた。

~ 釜山まで追い込まれたところで

 

仁川上陸作戦記念館

 

 

 

1950.9.15到着

 

上陸地点~青色・赤色・黄色の地点から上陸するという作戦

 

その地点がこちら⇩

上陸地点~青色海岸~

 

 

 

今はこんな風景に

 

マッカーサの道

 

続いて

上陸地点~赤色海岸~

今の風景

月尾島の入り口にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

最後に

上陸地点~黄色海岸~

月尾島の遊園地の横にある。空港のある永宗島が見える

空港のある永宗島に向かう船だろう
 
 

仁川上陸作戦

  

9月に仁川から国連軍が上陸。中国の鴨緑江まで北朝鮮を追い詰めた。

 

~長津湖の戦い ~

1950年11月27日から12月11日にかけて、現在の朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道長津郡長津湖周辺で行われた朝鮮戦争の戦闘

 

2021年映画『1950 鋼の第7中隊』日本版予告編  

2022年『1950 Part 2 水門橋決戦』

9月15日の仁川上陸作戦により、北朝鮮軍の補給路が絶たれ、釜山で持ちこたえた国連軍が反撃に転じた。 。

 

   

 

10月 中国が参戦 (中国建国1949年から一年の時期)

国内の政策に取り掛かろうとしていた矢先・・・できるだけ戦争はしたくないと考えていた。

中国は北朝鮮が攻め入ったことを知らなかったとされる。電報で知って驚いたとされている。

9月までは参戦しない動きだったけど、国連ができたことで中国を侵略するのではないかと危機感。

毛沢東は焦りながら、スターリンに空軍派遣を要請するが空軍を出さないので、周恩来をスターリンに派遣して要請する。

直接にはソ連はこの戦争にあまり関わっていなかったのがわかる。

 

3年間 国連軍の近代兵器と中国軍の人海戦術で戦ったが、かなりダメージが大きかった。

  

この日を記念日にして記念行事を10年ごとに行っているが70周年以降は記念式典へと転換した。 

「アメリカの侵略を抑えて人民の生活を守り、朝鮮半島を安定させた・・・」

 

1953年7月に休戦した。

結果アメリカ軍をどれほど滅ぼし、どれほどの人民が北朝鮮に対して募金をして支援したのかを発表した。

しかし、中国でも同じようなことが起きるのではないかという動き。+  帝国主義者が国内で殺し合うことを許さないという国民意識。

 

    

以降、共産党と国民党は台湾海峡で対立。

アメリカは第七艦隊を台湾に派遣していたが、朝鮮戦争停戦で撤退

 

1954年11月「米台共同防衛条約」

1955年1月アメリカ議会で「台湾決議」

これによって中国共産党が手を出せなくなっていった。。。

朝鮮戦争に参戦するよりも台湾問題をなんとかしたかったのに。。

台湾との統一を目指した・・・

朝鮮半島も分断・・・

米中の対立はここから・・・
 

 

〇朝鮮戦争で財政が厳しくなったが、朝鮮戦争をしながら国内では・・・

1951年9月に知識人の「思想改造」という思想統制製作が行われ、大学で英語学習禁止と、ロシア語の修得が義務になった。

 

1951年12月一1952年6月  三反運動

三反とは、汚職、 浪費、 官僚主義

禁聞】中共執政70年多少運動害死多少人? | 政治運動| 土改| 三反五反| 新唐人电视台

民衆側からの摘発!! (司法機関の手続きなし⇒重大案件29万人(うち罪状確認可10.5万)

⇒国民政府時代からの専門家、経済財政官僚に対し、共産党政権の統制や監視が強化された。

だんだん共産色が出てくる・・

三反”“五反”运动

1952年1月ー1952年6月 五反運動が起きる

五反=贈賄、脱税、情報漏洩、手抜き工事、公共財の窃盗 ⇒徴発 これも司法機関の手続きなし

北京で5万社中、1.5万社が違反、重大は2500社とされる。

⇒民間企業経営者に対する共産党政権の統制と監視が各段に強化。

 

1953年6月-1957年  第一次五カ年計画 行い、社会主義建設方針を具体化して行った。

1953年7月朝鮮戦争休戦

 

1954年9月20日、「中華人民共和国憲法」(1954年憲法)施行・・・