中国 清朝 終 ~ 日中戦争 終 | みょんじゃさんのブログ

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 黒人に変わる奴隷として中国人が多く行っていた。清朝留学生がたくさん日本にも来た。


1903年 日本で革命軍 雛容の本「革命軍」が流行した。
清朝を倒す革命勢力になっていった。孫文は日本に亡命していた。
辛亥革命の主力となったのは日本留学中、孫文と共鳴した将校たちが軍を出した。
1911年 湖北省武漢から革命は広がっていった。


清朝崩壊:6歳の溥儀      

 

1912年1月 中華民国成立 南京にて 孫文(臨時大総統)に就任;三民主義を掲げた。
民権政治⇒人民が政治を行うこと・人民を皇帝にしよう!
・辮髪の廃止(漢民族に北方民族が強制) 

・女性の纏足を廃止    

  

 

1921年7月 中国共産党が結成された。ロシア革命を目指した。
孫文の力が弱かった。清朝の軍隊が軍閥をつくる。
孫文はソ連を後ろ盾に持つ共産党と手を組んで軍閥を倒そうとした。
ソ連から軍事顧問マーリンがくる。
民間学校では周恩来がイデオロギー教育を行った。校長は蒋介石(日本の陸君士官学校で学んだ)
蒋介石は反共主義だったからソ連に近づく孫文を反対した。
 

1925年 孫文死去 「革命いまだならず」蒋介石は軍閥と戦い続ける
宋美齢(孫文の妻の妹)と結婚。孫文の後継者の地位を確立。
1928年 軍閥に勝利 中国統一が果たされ、天安門に孫文の写真が掲げられた。
軍閥が居なくなると蒋介石は資本家と手を結び、共産党弾圧に乗り出す
1927年 上海クーデター 共産党4000人が殺害された。ソ連を恐れていた
中共と満州蒙古、新疆、チベットをソ連に組み込もうとしている。蒋介石がおそれていること・・
1931年 満州事変 関東軍が迫るが、蒋介石は不抵抗政策でソ連との闘いを優先にした。
  
まずは国内の安定が優先として、共産党を撲滅させたかった。
軍備を近代化(西洋式)して、軍を整備して関東軍と戦う計画だった。
国民党軍 蒋介石はアメリカの経済支援を得て共産地域を爆撃した。
1935年12月 十二・九学生運動  共産党に執着する国民党への不満が爆発
 

北京では日本帝国主義を妥当せよと学生たちが訴えた。武力で弾圧・・・
内陸部に共産主義が逃げているが…「ソ連に従っているだけなのか?民族主義者?」アメリカ人が確かめに行った。

 

英語が堪能だった・・・周恩来  
共産党の新指導者毛沢東はソ連とは違う 農民を主体とした独自の改革を起こしていた
   
1937年 日中戦争 北京盧溝橋で衝突 都市は占領されていった。
蒋介石は共産党軍と手を組んで日本軍と戦おうとした。 


二度目の国共合作   
ソ連は日本軍の動きに注視 / 毛沢東は女性や子どもをゲリラ兵とした戦術

 

 

共産党軍がとらえた日本人捕虜たちもいた。捕虜の中に共産党に感化された日本人捕虜もいた。
1942年 蒋介石の妻 宋美齢がワシントンへ 軍事支援をするために向かった。全米各地を訪問6週間
 

 

 


英語がうまい。演説力もある   
ニューヨークの動物園にこどもパンダを贈呈した。⇒軍事支援okした⇒蒋介石は軍の指揮は極めて低い中国軍だった。
毛沢東の共産党軍も視察⇒ 日本人捕虜の扱いがうまかった+民主的だった   
 
土地改革をして、土地を与える+住民に投票権を与えるなどをしていった。    
アメリカ人とあまり変わらない生活をしていた。。。共産党が指示されることを予感していた。
しかし、受け入れられなかった。
   

日本軍の降伏式が紫禁城で行われた。国民党側飲みが参加。 8年間の日本支配だった。
蒋介石の写真が掲げられた。