恭愍王が毎日酒と女に溺れて生きると、臣下たちは大いに心配しました。
「高麗が立ち上がると思ったのに、また下り坂に行くんですね!」「王妃様さえ生きていればこんなことはなかったでしょう。" 酒に酔って眠りについた恭愍王は紅輪などに殺されてしまいました。
高麗を建て直そうとした恭愍王の高い夢は折れてしまいました。
今や高麗王朝の運命は次第に終わりに向かっていたのです。 元を支配していた奇皇后·グリの王は、元の王女と結婚することが多かったのです。 大路の高麗の人の中にも元の皇室に嫁ぐ人がいました。
始原は高麗に公女を要求しました。
「公女」とは元に捧げていた女性のことです。
高麗の人々は娘を公女として行かせないようにお寺に通わせたり、幼い頃に嫁がせたりしました。
公女制度は元が滅びた後も続きました。 朝鮮まで続き、中宗の時になってようやく中断されました。
公女として連れて行かれた高麗の娘たちは、元の貴族の家で下女として働いていました。
奇皇后もそんな公女の一人でした。 キさんは聡明で顔がきれいで、元皇帝の純帝の側室になりました。
しばらくして、キさんはスンジェの息子を産みました。 純帝はこのようなキ氏を皇后の座に就かせたかったので、臣下たちが反対しています。 「高麗の人であるキ氏を皇后に上げることはできません。」しかし、スンジェはキ氏を皇后の座に座らせました。 この時が1340年でした。 元の国では皇后を何人も置くことができました。 キさんは2度目の皇后でした。 最初の皇后がこの世を去ると、奇皇后が最初の皇后になりました。 また、奇皇后の息子は皇太子になりました。 この時から奇皇后は約30年間、元を支配しました。 奇皇后の力は純帝よりも強かったです。 「最初から純帝を追い出して、息子を皇帝に立てよう。' しかし、スンジェを追い出すことが思ったほど簡単ではありませんでした。 それで、純帝をかかし皇帝に立て、息子の皇太子が皇帝の権限を握るようにしました。
元が中国を治めた期間は約100年です。 そのうち後半30年は奇皇后が治めました。 奇皇后は高麗の人なので、高麗の朝廷に大きな影響を及ぼしました。 奇皇后の兄である奇哲は高麗で最も強い権力者となりました。 しかし、奇皇后が元を治めてから20年ほど経った時、紅巾賊が起き、元の軍隊と戦いました。 奇皇后は1368年に紅巾賊を避けて北に避難しました。 その後、奇皇后の息子アユルシリダールが皇帝になりました。

