統一新羅~ 高麗時代 ~ 驪州 神勒寺 ~ | みょんじゃさんのブログ

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勒寺に建てられている塔で、2段の基壇の上に3階の塔身(塔身)を上げた姿だ。
基壇は各面の角と中央に柱の形を一つずつ模して刻み、塔身でもやはり石の角ごとに柱の形の彫刻を置いた。 屋根石は底面の支えが層ごとに4段であり、雨水を受ける落水面は傾斜を弱く置き、四隅から少しずつ持ち上がった状態だ。 てっぺんには頭飾りで露盤、覆髪、仰花、宝輪、宝蓋などが載せられており、頭飾り部の重心を支えるための擦柱が尖っている。
統一新羅の石塔様式をよく継承している高麗前期の塔で、特にこのように頭飾りがよく残っている例は珍しい方であり、各部材を作った腕前も洗練されて見える。 1981年、塔を解体して復元する際、基壇内部から土で作った小型塔108個と舎利箱の欠片が発見された。

 

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1963年に宝物に指定された。 高さ約9.4m。現存唯一の高麗時代の全塔である。 地台石の上に花崗石の長台石で7階の基壇を積み、4段の層段を作って下から3·5·6·7段目で各々体感されながら層段になり、花崗石を使用した点は基壇の全体形態と共に異色だ。
基壇に使用した長台石の中で最下段の中間石と第2段の下石は他の部材より高い石を使った点が注目される。 基壇の上に1段の花崗石の屋身(屋身)台を設けたのは新羅時代の全塔の様式に従ったものと見られ、この台の上に行くほど体感された形で3段の台を前(塼:レンガ)にした後、塔身部を築造した。
塔身部は前に6階を築造したが、屋身の高さの体感はほとんどなく、6階だけ高さと幅が急激に減り、幅の体感度比率が一定ではなく奇形的に高峻に見える。 屋蓋(屋蓋)も幅が非常に狭く、全塔としての形態を備えていない。
各層の屋蓋台は3階までは2段で、4階以上は1段で、落水面の層段は初層は4段で、2階以上は2段ずつになっている点は移設塔が奇形的になった要因の一つだ。
さらに、新羅時代の全塔がほとんど間隔を置かずにレンガを積んだのに比べ、この全塔はレンガの間を広く剥がして面土を塗った。 レンガには周囲に演奏文を巻き、その中に唐草文を浮き彫りにした半円文があるものもあるが、配列方法は無秩序だ。
相輪部は6階の屋蓋の上にチヂミで作った露盤(露盤:塔の最上部の屋蓋石の上に置いて覆鉢·仰花·相輪などを支える装飾)があり、その上に花崗石製の覆鉢(覆鉢)·仰花·宝輪(宝輪)·宝蓋などが載せられている。
塔の北側にはこの塔の修理費があるが、「崇禎紀元之再丙午仲秋日立」と建立年代が明記されており、1726年(英祖2)の作品であることが分かり、この塔もこの時、今の形で重修されたものと見られる。 この塔の草創(初刱)年代を新羅時代と見てきたが、レンガの模様から見て高麗時代と見る見解が多い。
また、この前塔の建立位置としてすぐ下に漢江が曲がって見える岩石の上を選んだのは、新羅時代以来高麗時代にかけて流行していた特殊な点地傾向の流風といえる。

 

   

神勒寺に建てられている碑で、極楽宝殿の西側の丘にあった大蔵閣(仏経を作って保管していたところ)の造成に関する様々な記録を書いている。
細長い四角形の床石の上に支え石を置き、その上に碑身を立てた後、屋根石をのせた姿で、碑身の両側に石柱を立てて碑身をしっかりと支えるようにしている。 このように碑身の両側に石柱を立てる形式は高麗後期に至って見える現象として注目される部分だ。
巻柱(權鑄)の字で刻まれた碑文は、碑身が大きく破損し、全体の内容を把握することはできない。 碑文の裏面には仏経(経律論)を作り碑石を建てるのに参加した人々の名前を列挙している。
碑を建てた時期は高麗·武王9年(1383年)である。 亀の形をした台座、龍の頭が刻まれた台座が高麗後期になって四角形の台座と屋根の形をした頭石で簡略化されるが、この碑もそのような例だ。

 

  

神勒寺極楽宝殿の前にある塔で、基壇を2段に設けた後、その上に数階の塔身(塔身)を建てた姿だ。 統一新羅と高麗時代の一般的な石塔様式に従っているが、各部分の細部的な造形方法は全く異なり、基壇から塔身部まで全て一枚ずつの石で構成されている。
床石の上面には蓮の花を回して刻んだ。 下の階の基壇の四隅に刻まれた柱の彫刻は形式的だが、特異にも波模様を彫っていて目を引く。 下の階の基壇の一番上の石を厚く載せて塔の安定感を高めており、上の階の基壇の角に花模様を刻んだ柱を置いて、各面ごとに龍模様を深く掘った姿は上手な石工の腕前を表わしている。 塔身部の各屋根石は底面の支えが薄い一段であり、四隅から軽く持ち上げられている。 8階の石の上に屋根石一つと石一部分が残っていることから見て、階数がさらに多かったものと見られるが、8階の塔身の下まで昔の姿そのまま残っている。
各部分の下に怪任を置いた点から見て高麗時代の石塔様式を一部残しているが、細部的な彫刻様式などで高麗様式を抜け出そうとする色々な表現が目立つ。 白い大理石が与える質感は塔を一層優雅に見せるようにしており、全体的にソウル円覚寺址十層石塔(国宝)と石の材質、彫刻様式が似ている。 神勒寺は朝鮮成宗3年(1472)に大規模にリニューアルしたが、この塔もこの時に一緒に建てられたものと見られる。