三国時代のおわり3 | みょんじゃさんのブログ

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新羅の滅亡

 

<甄萱がひざまずいているこの時に、我が新羅がどうして

こうらい

高麗に対抗できようか>

キヨン スン

さきゆ

敬 順王は新羅の先行きを

心配し、何日も眠りにつけませんでした。敬順王が即位して9年後の935年10月のある

日、敬順王は朝廷の大臣たちをすべて集めました。

「よく聞きなさい。我が新羅

には今や、国を守る力がない。それで我われも高麗に降伏しようと思うのだが、たちの意見はいかがか」

すると大臣たちはすべて口を固くつぐんでしまいました。その時、太子が敬順王の前に出ていきました。

しゃしよく

「それはいけません。父上、新羅の千年の社(国土)をこのようにして高麗に引き渡すことはなりません。最後の一人になるまで命をかけて戦わなければなりません」すると大臣たちは先を争って言いました。

「高麗の力は今やどの国にも劣りません。負けることがはっきりしている戦いに、人々を追いやることはできません。いっそのこと、降伏して平和を求めるようにしましょう」

「そうしましょう、王様」

太子は憤適をこらえ切れず、大臣たちに向かって大声で叫びました。

 

こうふく

「国王、父上、降伏はいけま

キヨンスン

せん」太子は敬 順王の前に出て、降伏に強く反対した。

「一体何を言っているのだ!

お前たちは一体どこの国の大臣なのか。

今まで何をしてきてこの期に及んでそんなことを言うのか」

キヨンスン

敬順王が重い口をようやく開きました。

「太子は聞いておれ。太子のその都を予は知らないわけではない。

しかし、国を守ることも重要ではあるが、人々を平安にしてあげることも重要なことなのだ」

 

마의태자 

 

「国王、父上、降伏はいけません」太子は敬 順王の前に出て、降伏に強く反対した。

「一体何を言っているのだ!

お前たちは一体どこの国の大臣なのか。

今まで何をしてきてこの期に及んでそんなことを言うのか」

キヨンスン

敬順王が重い口をようやく開きました。

「太子は聞いておれ。太子のその都を予は知らないわけではない。

しかし、国を守ることも重要ではあるが、人々を平安にしてあげることも重要なことなのだ」

 

경순왕

キヨンスン

こうふく

敬順王は侍郎の金封休を開京に送り、降伏の意思を伝えました。

<ああ、新羅が滅びるとは。これからは祖先に顔向けできない>太子は痛し、王宮を出ました。そのまま金剛山へ入り、麻の服を着、葛の根を食べて生き長らえ、侘しい一生を終えました。人々は麻の服を着た太子という意味で、彼を麻衣太子と呼びました。

<新羅の最後の忠臣が予の側を離れていったのか!>太子が王宮を去ったという知らせを受けた敬順王は、心が張り裂ける思いでした。立ち去る息子を見ても、引き止めることのできない敬順王の心の内を、誰も知ることができませんでした。建国992年、その間、56人の王が治めた新羅はこうして歴史の幕を下ろしました。

一度も戦わずして新羅を明け渡された王建は、嬉しくてどうすることもできませんでした。

「皆のもの、新羅の敬順王を迎える大宴会の準備を急げ」

それから 1か月後の11月、敬順王を乗せた駕籠が新羅の都の徐羅伐を発ち、開京に向かいました。その後ろに従う貴族たちと、引っ越しの荷物を載せた車が列をなしました。道の両端にずらっと並んだ人々は、互いに手を取り合って、涙を流しました。

「国を滅ぼしておきながら、どんな顔して高麗に行こうとするのか」「浮かれ騒いで遊んだあげく、ついに国も売ってしまったんだよ」人々は手で大地を叩きながら溜め息をつきました。国王の行列は、

ラボル

徐羅代からだんだん遠ざかっていきました。その後、王建は敬順王を

釜と名を改めさせ、最選という高い官位を与え、また徐羅後を酸

そぜい」

州と変え、その地を金傅に食邑(その地の租税)として与えました。

そして、自分の長女の薬道姫を彼に入れさせました。

 

………

 

ごくだら

後百済の最後

新羅を併合した高麗は、今やその勢力がとても大きくなりました。

新羅が降検する1年前の934年には、選任したっ渤海海の太子の天頭が数万名の人々を連れて高麗に降伏してきました。大光彰

 

 

 

 

 

 

「後百済さえ滅せば、統一国家を建てることができる・・・・・・」

至難の心の前には楽だ達成されていない野望が燃え盛っていました。

その年の2月、견훤의 아들 である後百済の将軍の新類が家族を引き

連れて高麗に降伏してきました。彼は朝選の商と酸資に踏った人々の生活の様子など、後百済の国の事情を甄に伝えました。

「あいつを我が手で亡き者にしよう」

頸管はすぐ王建のもとへかけつけ、後百済を飛とうと言いました。

ついに王建は8万7千の大軍を率いて後百済へ進撃しました。甄賞もこの戦いに参加しました。自分が建てた国を撃ちにいく甄萱の心は限りなく痛みました。

後百済の軍隊はやっと1万名程度にすぎませんでした。

彼らは高麗の大軍を見ると、戦う前から恐れおののき、後を振り向きもしないで逃げてしまいました。将軍

たちまで甄萱を訪ね、ひざまずきました。甄萱は後百済の将軍たちに大声で怒鳴りました。

「神剣の奴はどこへいった?」「現在、軍の中にいるはずです」

きばへい

高麗の騎馬兵が槍と剣を振り回しながら、後百済の陣営の真ん中に攻め入りました。

「勝利は目前にある!総攻撃せよ!」後百済の神剣兄弟は、ついに王建に降伏した。

 

後百済の陣営は早気なく崩れ去りました。神剣は事態が不利になると、残った軍隊を率いて黄山郡(現在の論山)に逃亡しました。しかし、戦いはすでに決着していました。神剣は弟の買動と龍動を引き連れて、王建の前に降伏しました。これにより、

キヨンフォン

甄が国を建ててから45年目の936年に後百済は滅亡しました。