日本の美意識memo/note-008

 

 

『琳派とは何だろうか(1)』

 

 

 

 

一般的には

京都琳派=俵屋宗達(本阿弥光悦)→尾形光琳・乾山

江戸琳派=酒井抱一→鈴木其一

になるだろうか。

そもそもこの琳派なる名称が使われ出したのは明治期になってからで

統一されたのは1960年代という。

従って宗達や光悦の時代には琳派なる言葉も流派も存在していないし

光琳や乾山の時代でも琳派なるものは存在していない。

いや琳派は狩野派のような流派ではないのだ。

私たちはとかく便宜的に何か統一した言葉で括ってしまうという傾向がある。

ジュエリーの歴史でも、ヴィクトリアンやベルエポックのジュエリーには

その時代に作られたジュエリーの総称という大まかな設定はあるけれど、

決してジュエリースタイルを指してはいないのだ。

それは兎も角、私は以前から

琳派の始祖は宗達ではなく光琳であると考えていたが、

宗達を始祖にしてしまったのは、宗達が描いた「風神雷神図」を

光琳が模写しそれを抱一、其一が模写したことから始まっているのだ。

なんとも安易な発想ではある。

日本人は良いにつけ悪いにつけ、形に嵌った一本の流れ(系統)を大事にする。

日本史における万世一系などはその典型だろう。

私は学者ではないので、誰が創始者だろうと興味の対象ではない。

それよりも日本で一二を争うほど有名な画家である

宗達の出自が不明な点の方が知りたい。

その当時の一流文化人と近しい交流がありながら、

彼らの日記や交流録にも宗達の出自が記されていないのは

まことに不思議な事なのだ。