再掲載

『真珠・ジュエリー初級講座(01)』

 

『天然真珠とその時代−1』

 

 

 

 

 

 

市場で流通しているパールを用いたアンティークジュエリーは、

例外を除けば天然真珠と云って間違いはないだろう。

1893年に御木本幸吉が半円真珠を発明したのが養殖真珠の始まりとされている。

そして1910年に真円の特許を申請している。

現在は御木本幸吉と西川藤吉、見瀬辰平の3人が真円真珠の発明者とされる。

従って養殖真珠が世界の市場に出回るのは

早くても1912年以降という事になるが、これはまだ実験段階レベルで、

実際にヨーロッパに登場するのは1920年近くなってから。

これはある程度量産が可能になるまでに要した時間だ。

19世紀末までの永い間、ヨーロッパ向けの天然真珠は、

主にペルシア湾やアラビア海、

ミャンマーやセイロン島(現スリランカ)などで採れている。

勿論、世界中の至る所で真珠は採れる訳だが

ヨーロッパの王侯貴族を魅了したのは、ペルシア湾の真珠が圧倒的に多い。

どうもペルシアの真珠は母貝大半がクロチョウだったらしい。

宝石は元来貴重であればあるほど高価とされるが

真珠も例外ではなく、

V&A美術館や大英博物館、装飾美術館などに収まっている

数々の真珠製品も大変高価で貴重品であった。

ペルシア湾で採れる真珠は一旦インドのゴアに運ばれ

加工(主に穴をあける)されてヨーロッパにもたらされる。

何故インドのゴアに持ち込まれるのか。

複数の説があるが、

イギリスやオランダの植民地と関係があるのかも知れない。

しかしながら博物館や美術館などで観る真珠のジュエリーには

一体どうしたらこのような大きくて立派な真珠ができるのか、

或いは、これほどの数の真珠をどのようにして手に入れたのか。

天然真珠の興味は尽きない。

ご覧の画像はエリザベス1世の肖像画で現在ロンドンのナショナルミュージアムにあるあるが、この肖像画には無数の真珠が縫い付けられてある。

描いたのはニコラス・ヒリアードで1575年エリザベスが42歳の時である。

彼女は表向き生涯独身で通した。

イギリスは歴史的に鉄の女、と呼ばれるリーダーが生まれるが、案外エリザベス1世がその先駆けなのかも判らない。

ニコラスヒリアードはエリザベス1世のお抱え絵師であり金工師でもあった。

エリザベスの要請で勲章に匹敵するジュエリーが多数作られている。