宝石箱の片隅・悠々として急げ(2)=vol.0034
『ただの情報ほど高いものはない』
折に触れ何度も言っているが、
ただの情報ほど高くつくものはないと思う。
問題はその情報が対価を払うほどの内容かである。
対価を払う内容がなければ、
それは自分にとって二束三文の価値しかない。
私が発信する情報(セミナーと言い換えても良い)が、
対価に値しなければ無視して頂いて結構、という気持ちは
独立してからズーッと持ち続けている。
だから例え1人でも参加者がいれば、
ジュエリーの研究ゼミセミナーを実行してきた
(本当に1人だけの参加者だったときが何度かあったけどね)。
netを検索すれば、夥しい量の情報が氾濫してくる時代にあって、
価値ある情報は受け取る側の意識の持ち方にあるのではないか。
その人が情報をどのように受け止めるか、
必要とするか、それをいかに活用するか。
そして発信する側は、そのお手伝いをすることで
利益を享受できるに違いないのだと思うのだ。
私が主宰する「ジュエリーの歴史ゼミ」は、
儲けを考えたら長続きはしない事は言うまでもないし、
所詮これ単独でビジネスにはならない。
最近私は自分の中で「道楽の範疇」というポジションにしている。
道楽であれば、何のリスクも伴わないし、気楽にできる。
でも一方では毎回真剣に歴史と向き合っている。