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ますぶちStyle/日本の美意識[アンコール特集]

柳宗悦著「民藝四十年」岩波文庫

 

 

 

 

『雑器の美、用の美、民藝の美-2』

 

彼の著書「民藝四十年/利休と私」の中で

利休と遠州を激しく非難している。

柳本人は否定しているが、

利休によって茶道そのものが

駄目になったとも捉えられる表現をしているのだ。

一般的には、利休によって侘び寂びが成就されたわけだが、

人間利休は俗な事が図々しく平気ででき、人一倍権力に固執したのだ。

秀吉によって切腹させられたという歴史的事実は、

兎角秀吉を悪者にしがちであるが、

利休は秀吉との権力闘争に敗れたとみるのである。

時の為政者と結びついた茶道は、所詮金持ちの道楽にしか過ぎず、

茶道具全てが権威主義と化してしまった。

云ってみれば利休や遠州によって確立された茶道は、

宗悦にしてみれば反面教師であり、

その事に対する反動が民芸運動に向かわせたのではないだろうか。

日本における茶は中国から禅とともに輸入された。

臨済宗の栄西から、やがて一休禅師によって

「茶禅一味」という美的鑑賞と宗教が一体となり発達、

村田珠光(奈良の僧)、武野紹鴎らにとって侘茶(わびちゃ)が創始された。

宗悦は侘茶は紹鴎までで良いと云っているのだろうか。

宗悦によれば・・・「寂び」とはただ寂びしみということではなく、

仏法の言葉であった、本来は凡ゆる執著を去る様をいうのだ。

「茶美」は詮ずるに「寂の美」である。

これをやさしく「貧の美」といってもよい。

今なら分かりやすく「簡素の美」とでもいうかも知れぬ。

かかる美を味わう茶人を数寄者といったが

「奇」とは足らざる様を指すので、

足らざるに足るを知る人の悦びを味わったのである・・・と結んでいる。

彼が民藝を通じて唱えたのは雑器の美、用の美、民藝の美である。

彼は下手もの、つまり日々の生活の中で使われる雑器の中に自然で力強い、

しかも美しさが宿る器を見いだすのだ。

利休を非難するのは、

利休によって見立てられる器は

一瞬のうちに高額で価値のある鑑賞物に変貌してしまう。

そこからは欺瞞で塗り固められた嘘の美しさしか見えてこない。

美術品が一部の天才個人によって作られるのとは対照的に、

無名の工人によって作り出される、

日常使いの用の美の方がはるかに美しいとみるのである。

民藝という言葉の響きはなんとなく田舎臭い、

泥臭いというところはないだろうか。

私の生まれた宇都宮の近くには益子焼があり、

その益子焼の中から民芸運動の旗手浜田庄司が出てくる。

浜田の器は父が何点か持っていたので子供の頃にそれを見て育ったが、

他の益子焼に比べて田舎臭いという印象はなかった。

日本の焼き物は、

秀吉が文禄・慶長の役の時に連れてきた

朝鮮の工人達によって大きく華開く。

宗悦が朝鮮の器に魅かれて何度か朝鮮に行き、

35歳の時に浅川伯教・巧等と京城に朝鮮民族美術館を開設する。

日本の陶磁器の故郷は朝鮮に有りと云っても過言ではないのであろう。

同じ頃に木喰上人を甲州の旅の途中で発見するが、

この旅に宗悦を誘ったのが他でもない浅川巧みであった事は、

単なる偶然で片付けられない何かがある。

よく誤解されるのだが、

木喰とは出家した僧が米野菜を食せず

木の実山菜のみを食して修行する僧の通称で個人名ではない。

ナのある人は二人いて

五行という江戸後期の遊行造像僧で甲斐の生まれで名は名満。

45歳で木喰戒を受け、千体造仏を発願し、円空と並び称される。

その木喰上人の彫った像が

生まれ故郷の甲州にあったのを見た宗悦が感動したのだ。

木喰は宗悦によって世の中に出たと云っても良い。

この二つの出来事(朝鮮の陶器と木喰上人の仏像)は

宗悦を急速に下手物への関心を深めるのだ。

民藝の美とは雑器の美、用の美に他ならない。

日常の中に美を見出す事の重要さがそこにあるのだ。

器は使ってなんぼのモノであろう。

少なくとも飾って楽しむモノとは所詮住む世界が違うのである。

日常的に使うモノの中に、自然と対峙できる本当に美を見つける事、

が宗悦に課せられた定めであるという、

宗教的な啓示が宗悦の中に常にあったのではないだろうか。

現代でいうところのプロデューサーやアートディレクターとして、

宗悦の果たした役割は大きい。

日常雑器や用としての美は、日の当たるところではなく、

むしろ日の当たらないところでの仕事にその価値が光っている。

それを見つけ日の当たるようにすることが

プロデューサーの仕事なのである。

何時の時代もそのような人を求めているし、

またそれに答える事ができる事が必要なのであろう。

宝飾品業界もそのような人の出現を待っているのだが、

果たしてそのような作家が現れるのだろうか。