宝石箱の片隅『column四季折々』008

 

『甘泉園・高田富士の由来』

 

 

 

東京はやたら坂が多いところで、

昔はちょっとした高台からは天気の良い日は富士山が見えた。

今では高層ビルと木々に邪魔されて、

余程の条件が整わないと富士山は見えない。

東京のあちこちに、〇〇富士などという地名があるのはその名残だ。

甘泉園と水稲荷神社の一隅の小高いところに「高田富士」なるものがあり

昨年の秋にコロナ以来何年か振りに、お参りができた。

先日棚橋正博の「江戸の道楽」を読んでいたら

この高田富士は穴八幡の近くの宝泉寺にあったと書かれていた。

江戸時代から富士山信仰は盛んだったが

女子供の登山は困難だったところから

高田の地(現在の早稲田地区)に模造富士を作り、

そこにお参りする事で、ご利益を得たという。

この高田富士については「藤四郎」なるものが企画したと

江戸名所図会に出てくるのだ。

〇〇富士の山下には浅間の宮があり、

浅間神社の提灯などが一緒に祀られているのはこのためらしい。

高田富士なるものが

宝泉寺から甘泉園と水稲荷神社の高台に

いつ頃移されたのは定かではないので、そのうち調べようと思っている。

早稲田一帯というのは、早稲田大学の拡張に伴い

かなり激しく土地交換がされているので

お寺や神社の場所が目まぐるしく変わったようである。