ますぶちStyle日本の美意識[アンコール特集]
方丈記/鴨長明・岩波文庫
無常ということを悟りきれなかった人、鴨長明
“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし」
という、あまりにも有名な書き出しで始まる随筆
「方丈記(1212年頃に成立したといわれている)」の
作者鴨長明[1155?-1216年]は、鎌倉初期の歌人あり文人である。
賀茂神社の社家の出といわれ、
禰宜(ねぎ)を望んだが果たせず人生の無常を感じて、大原に幽隠し、
その5年後1208年に日野山に方丈(およそ5畳半)の庵をかまえて、
遁世する次第を方丈記に書いた。
時に1213年58歳である。
方丈記の文量は驚くほど短く、あっという間に読めてしまう。
しかし世の儚さと自分を冷静に見つめる視点を持ち、
隠者文学の代表とされ、
100年後の吉田兼好の徒然草(1317—1331年頃に成立)にも
少なからず影響を与えたその文章は、
和漢混淆文の完成形とも評価される。
しかしながらこの方丈記それほどの名文なのだろうか。
書かれてある事は至極真っ当な事だし、
彼の半生を考えれば
むしろマイナーなイメージとしてしか捉えられない。
自身を励まし強く生きていくという、
生に対する積極的な姿勢はみられない。
隠者文学といわれる所以であるが、
それが却って現代の若者に共鳴するところが有るのだろうか。
先日高田馬場のある書店で何気なく聞いてみたら、
岩波文庫の「方丈記」は古典文学の中で売れ筋であるという。
方丈記には手本がある。
平安時代中期の文人であり儒学者の
慶滋保胤(よししげのやすたね)の「池亭記(ちていき)」
982年成立がそれだ。
そして保胤の池亭記は、
中国唐代の代表的詩人白居易(白楽天)の「池上篇井序」「草堂記」などを
手本にしているという。
長明が生きた時代はちょうど鎌倉時代で、
宗教では法然(1133−1212)が浄土宗を、
親鸞が(1173−1262)が浄土真宗を、
日蓮(1222−1282)が日蓮宗を、
栄西(1141−1215)が日本臨済宗を、
道元(1200−1253)が日本曹洞宗を開いているし、
明恵(1173−1232)と重源(1121−1206)が新しい価値観を求めて、
450年前の奈良時代以来華厳宗の復興を果たしている。
まさに宗教のラッシュアワーといったところである。
また和歌の世界では
藤原俊成(1114−1204)・定家(1162−1241)親子が
8番目の勅撰集である「新古今和歌集」を勅撰した。
しかし長明はどうも定家には嫌われていたらしい。
そして1203年俊成卿九十賀に出詠したのを最後に
歌壇から消えているのである。
方丈記を書く約10年前の事であるが後鳥羽院との関係が暫く続き、
1205年の「元久詩歌合」に参加している。
しかしそこには、無常の悟りを求めながら悟りきれない、
人間長明の姿が感じられる。
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