宝石たちの1000物語
人に歴史があるように、宝石にもそれぞれの物語がある。1000文字に収められた最も短いショートショート。1000の宝石たちの煌めき。それは宝石の小宇宙。男と女の物語は星の数ほどあります。そしてそれぞれの物語は切なく哀しく、時には可笑しく愚かしく。
アンコール特集:シリーズー1
第12回
《ペリドット/peridot》
『V&A美術館で出会った女』
ロンドンには所用で年に数回は行く。
滞在日数は平均10日前後。
土日はビジネスにならないから、出来るだけ美術館や博物館に行って、
見聞を広める事にしている。
このV&A(ヴィクトリア&アルバート)美術館は、
19世紀イギリスのヴィクトリア女王と夫のアルバート公にちなんで
名付けられたのだが、
ここには夥しい量のジュエリーが展示されている部屋がある。
最近展示が変わって奇麗になったが、
以前は壁に無造作にディスプレイされており、それが却って迫力でもあった。
この展示室は私にとって妙に気分を和ませてくれるスペースで、
一旦ここに入ると優に2時間は居る。
いくらみていても飽きないから不思議だ。
でも身体が疲れてしまうので1階のレストランでビールを飲みながら、
あれこれジュエリーについて考えていると、
また行きたくなってしまうのだ。
V&Aには何回通ったか知れない。
でも行くたびにいつも新鮮な発見がある。
言い換えると何度観ても覚えない私の頭の悪さ、と云う事になるだろう。
いつものようにレストランでビールを飲んでいると、
斜めの席からこちらを見ている女性の視線に気がついた。
私もそちらを見ると、微笑みながら頭を下げている。
はてっ、何処で会った女性だろうか。
思いだせない。
その女性は席を立つとこちらに歩を進めてきた。
「今日はご機嫌よう。暫く振りね」
「貴女と何処かでお会いしましたでしょうか」
「先日大英博物館のパーティでお目にかかりましたわ」
明らかに東洋人なのだが、
それにしては流暢なキングスイングリッシュを話す。
その時記憶が蘇った。
人混みを避けようとして、私が誤って
シャンパンを彼女のドレスにかけてしまった。
あの時はドレスの方に夢中で、顔をみる余裕はなかったのだ。
「あの時は大変失礼致しました」
「いいんですのよ。だって貴方の責任じゃないんですもの」
そうなのだ、後ろから誰かに押されて、
よろけた拍子にこの人にぶつかって、それで粗相をしてしまった。
この人はすぐに消えたが、30分後に再び現れた時には、
すっかり色の違うドレスに着替えていた。
美術館にフィッティングルームがあるのだろうが、
着替えまで持ってきているとは。
それにしても、
彼女のつけている明るいベリドットのブローチのやけに目立つこと。
萌葱色のスーツと見事にマッチングしている。
「この後は何か予定でも」思い切って誘ってみた。
彼女は優しく微笑み「今度誘って下さいな」
と云いながら軽やかな足取りで去っていってしまった。