日本の美意識・[アンコール特集]
「世阿弥/風姿花伝・岩波文庫
「世阿弥/花伝書・講談社文庫」(1)
『秘する花を知る事
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり
この分け目を知る事、肝要の花なり』
世阿弥の著「風姿花伝」は1400から1418年に書かれている。
世阿弥37から55歳にかけてである。
近年川瀬一馬が、世阿弥は観阿弥の話しを聞書きしたに過ぎない、
本当の作者は父の観阿弥である(講談社文庫版)。
という説を打ち出し、
確かに風姿花伝の中で随所に世阿弥が父観阿弥がこのように述べたと書いているが、
やはり風姿花伝は世阿弥の作という見方が本筋であろう。
世阿弥が求めたのは能の理想ともいうべき「花」であった。
花は咲く花ばかりではく、
演者が醸し出す技や声、仕草などには
花(美しいもの)がなくてはならぬと説いている。
また咲く花は短い時間のうちに萎れるから、
一瞬一瞬を大事にしなければならない。
そしてその結果花から幽玄がにじみでるのだともいう。
幽玄という言葉は
古今和歌集(905年醍醐天皇の命を受けて紀貫之らが1100首を編集)の
真名序で使われ
その後藤原俊成(1114-1204)が自らの歌論の重要な概念とした。
従って幽玄は世阿弥の専売特許ではない。
世阿弥が理想としたのは花である。
冒頭の秘する花を知る事・・・はまさに花の本質を説いている。
風姿花伝は現代語訳ではなく原文を何度も読めと言われるが、
古文に或る程度堪能でないとなかなか読みづらいし解りにくい。
しかし我慢して何度か読んでいるとじわっと解るような気がしてくる。
また第4章に「神儀編」では歴史を解く事の重要性について述べている。
室町時代は文化、美術が大きく花開いた時代で、今から600年くらい前の事。
既にこの時代に歴史を学べと説いているのである。
日本書紀が720年に成立しているから
それからわずか700年くらいしかたっていないのにである。
このような認識が室町時代にあったという事は驚くばかりである。
61歳のとき息子元雅に能楽論秘伝書「花鏡(かきょう)」を与えた。
ここには「初心忘るべからず」
「命には終わりあり、能には果てあるべからず」
「ただ美しく柔和なる体、これ幽玄の本体なり」
などの言葉が刻まれている。
「初心忘るべからず」はあまりにも有名なので改めていう必要もない。
命には終わりあり、能には果てあるべからず」は、
能には終わりはない、つまり完成する事はないのだ。
従って繰り返し繰り返し稽古して高めなければならない。
風姿花伝には物真似という言葉が出てくるが、
この物真似こそ繰り返しの稽古である。
物真似は猿真似とは違う。
物真似とはそのものの真実を知るという事。
すべての芸はこの物真似と繰り返しの修練による。
物真似をして繰り返す事によって先人を超える事ができるのである。
「ただ美しく柔和なる体、これ幽玄の本体なり」とは
花を究める事によって美しさが生まれる。
これが幽玄の正体である、といっている。
[明日15日に続く]
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文量が多いので(1)(2)に分けて掲載します。続きは明日!!
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