少しずつゆっくりと

『ジュエリーの歴史6000年』を学ぼう

 

『エーゲ文明とジュエリー』第3回

 

クレタ文明[ミノス文明]からミケーネ文明へ(3)

 

クレタ島の人々は

民族的には地中海人種と小アジアの混血という説もあるが

どうもはっきりしていません。

彼らは絵文字や線文字A(BC18世紀〜BC15世紀頃まで

クレタ島で用いられたが現在未解読)と呼ばれる文字を使用し、

高度な文明を築いていたことはわかっているのです。

エーゲ海は大小様々な島で構成され、

このため海上貿易が盛んでした。

クノッソス宮殿などの遺跡から壮大な宮殿を営む為政者が、

海上貿易によって莫大な富を得ていた事は想像に難くありません。

そのクレタ文明は、BC1400年頃まで栄えますが、

数度に渡る火山の噴火や地震などや

インド・ヨーロッパ語族の侵入などがクレタ文明に影響を与え、

衰退を招いたといわれています。

また同じ頃に最初のギリシア人と云われるアカイア人が

ギリシア半島のミケーネ、ティリンスに南下して

ミケーネ文明を築きます。

やがてミケーネがクレタ島を征服して

クレタ文明は終焉を迎えるのです。

代わってミケーネがエーゲ海を中心とした文明を築き、

線文字Bを使い(現在ほとんどが解読されている)

紀元前1200年頃まで繁栄を築きます。

 

 

 

*画像はアガメムノンの仮面。

ギリシア神話でもっとも有名な一人で、ミケーネの王としてトロヤ戦争の総指揮官であった。

ただ彼が実在の人物であったか神話の人物かははっきりしない。

発見したのはシュリーマンで、埋葬穴(円形墓群A5号)にあった死体の顔の上にあった。

シュリーマンはこれをアガメムノンの墓であると信じ、それ以来アガメムノンの仮面として一般的である。

しかしながら考古学上では、この仮面はBC1550〜BC1500年頃のものとされ、アガメムノンの時代よりも早いとされている。

またこの仮面はミケーネの竪穴墓の中で発見された5つの仮面のうちのひとつであり、アガメムノンの仮面の信憑性が疑問視されている。

アテネ国立考古学博物館所蔵。