増渕邦治全仕事
ART DIRECTION vol-01
『1975年が私の仕事元年(3)』
◎
プレゼン用のアイデア出しには3日間徹夜をしました。
このような経験は
ムサ美の卒業制作で経験した時以来のことです。
結局私が出したアイデアが採用され、
と同時に、
今後は全てのクリエイティブワークは
社内制作に切り替えることになったのですから、
喜びもひとしおでした。
なにしろこの当時、
銀座の企業で宣伝部内に制作部門を持ち
クリエイティブワークをしているのは
資生堂とカネボウくらいしかなく、
ミキモトがその末席に連なる事ができたのは
ラッキー以外の
なにものでもなかったのです。
1970年頃から
日本のジュエリー市場は拡大していきます。
甲府のメーカーが東京に進出し
小売の真似事を始めました。
また一握りのジュエリー作家が
自分のブランドを立ち上げ
(私にすれば単なるネーミング)、
先生、センセイともてはやされていきます。
この当時ジュエリーのヌーべルバーグ
とも言える作家が登場します
(敢えて名前は出しませんが)。
◎
*この画像は1975年の雑誌ミセスに掲載した広告で、宝石の写真は飯塚康弘、コピーライターは浅倉勇、バックの写真はエルンスト・ハース。ハースについては以前のブログでも紹介していますが、世界的に有名なアメリカのカメラマンです。
