増渕邦治全仕事

ART DIRECTION vol-01

『1975年が私の仕事元年(2)』

 

 

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1974年9月に社内組織が変わって、新しく販売促進部という名称になり新部長と新課長が配属されました。

新部長は社内では将来を約束されたやり手で、案の定来年から雑誌ミセスの広告は外注プロダクションも交えてコンペによって決めるというお達しが出たのです。

これぞチャンス到来。4年間待ち望んでいた事がもしかしたら現実になるかも知れない。

私の気持ちは大きく膨らみ始めていました。

しかしプレゼンコンペは外部にも声をかけており、競合相手は天下のプロダクションたちです。

生半可なことではとても太刀打ちできません。

具体的にどんなアイデアで勝負するか。

私の胸は膨らむ一方大きなプレッシャーがのしかかってきました。

恐らくこのようなチャンスを逃したら二度とやってこないかもしれません。

広告制作というのは、カメラマンやコピーライターなどのスタッフとの共同作業になります。

しかし、まだ自分の仕事では一流のスタッフとチームを組んだ事はしていないし、そこまでのキャリアもありません。

プレゼンテーションまでの期限は1ヶ月なのです。

人生27歳にして最大の試練がやってきたのです。

幸い、社内にムサ美の1年先輩であるディスプレイ担当の小松さんが、力になってくれるといってきました。

そして電通OBのカメラマンやライトパブリシティ出身のコピーライター、TDKのアートディレクターであったX氏も陰ながら協力してくれることになったのです。

これは大いに勇気付けられました。

*この画像は1975年の雑誌ミセスに掲載した広告で、宝石の写真は飯塚康弘、コピーライターは浅倉勇、バックの写真はエルンスト・ハース。ハースについては以前のブログでも紹介していますが、世界的に有名なアメリカのカメラマンです。