『鎌倉大仏と金』


小学生の高学年になると
修学旅行は
鎌倉・江ノ島が定番だった。

もう50年以上前のことである。

それ以来、
北鎌倉に義兄が住んでいたこともあって、
何度か
この地に訪れている。

鎌倉大仏、
正式には阿弥陀如来像だ。

この像は
最初木造でつくられ、
その後金銅仏になった。

表面を金箔で施されており、
これは
奈良の大仏とは違う。

源頼朝と平清盛が
覇権を争っていた時代、
1182年に
東大寺が平家一門の重衛によって
焼き討ちに会い、
大仏も焼け落ちてしまうが、
それの復興のために
奥州平泉から金が届けられる。

そして
1252年に鎌倉でも
金銅仏でつくられ始まる。

恐らくこの時も
奥州平泉、藤原一族の金が
多くもたらされたに違いない。

それほど
奥州各地には金が埋蔵されていた。

現在の大仏は
建物がなく剥き出しになっているが、
東大寺よりも
一回り小さな大仏殿と金銅仏は
東国では偉容を誇っていた。

まさに
鎌倉幕府のシンボルでも
あったのだ。

この銅像の平均含有比率は
銅68.7%、鉛19.6%、錫9.3%である。

鉛の比率が高いことから、
像表面に
鍍金(金メッキ)をおこなうことは
困難であったと推定される。

造像当初は
表面に金箔を貼っていたようで、
現在でも
右頬に金箔の跡が確認できる。

こういった金箔の技術は、
やがて
足利義満の時代の
金閣寺の造営にも活かされていただろう。

現在の日本では、
鹿児島で
良質の金が少し産出されているが、
日本の文化と金の関係は
まだまだ謎が多い。

$『ますぶちStyle/宝石箱の片隅』
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