写楽考



『ますぶちStyle/宝石箱の片隅』

 

気分転換に近くの本屋にいったら


田中英道の「写楽問題は終わっていない」という新書が目に留まった。


あらっ、写楽は斉藤十郎兵衛で解決したのでは、と思いつつも


この本を手に取り立ち読みしてしまった。


勿論結果的には購入したのだけれど。


 

田中英道は東大寺大仏研究の折りに知った史学者である。


「天平のミケランジェロ」と云う本で


東大寺大仏製作の指揮官、国仲連公麻呂とミケランジェロを比較した。


内容的には少し強引な感じがしたが


面白い視点でまとめており、興味深く読んだ。


その田中が写楽は斉藤十郎兵衛ではなく、北斎だという説をとっている。


田中によれば、北斎が寛政六年、活動が空白だったことと


写楽が登場して来たことと重なる。


 

この当時北斎は勝川春郎という名であった。


田中は「天平のミケランジェロ」の中でも、


当時造られた多くの仏像の作者と云う視点で


類似点を列挙して自説を述べているが


今回も春郎時代の描きかたと写楽の構図の類似点を多数あげている。


写楽が斉藤十郎兵衛であるという説は


内田千鶴子がかなり精力的に立証して、説得力があったように思うが


 

松本清張も斉藤十郎兵衛説をとっているが、ただ最後に


・・・写楽は写楽でよい。


その画家の不明な経歴を無理に先議することもないし


科学的と称して僅かな資料を拡大してみせ、


その上に解釈を歪めることない・・・


と述べている。



しかし我々はどうしても、写楽って一体誰なの?


という興味を持ってしまう。


 

江戸初期の画家、俵屋宗達も


本阿弥光悦や、豪商角倉了以、公卿で歌人の烏丸光広など


この時代の超有名人と交流がありながら


生没年が判らない謎の多い画家である。


 

私の見解は、松本清張と同じように


写楽は写楽そのものだ、それでよい。


現実に生きて短期間であるが間違いなく活躍したのだから。


と云う説をとりたい。


 

いずれにしても、謎が多ければ多いほど興味が募るのが人情という代物。


 

 

写楽はまだまだ謎の人物であるに違いない。