なんてタイミングが良いのだろう
来週24日に、日本ジュエリー協会主催のセミナー
『東大寺大仏の謎/いかにして東大寺大仏の金は調達されたか』
で一つのポイントになるのが
紫香楽宮と甲賀寺である。
当初聖武天皇は743年10月15日に紫香楽宮で「大仏造立の詔」を発した。
そして744年10月13日に甲賀寺で大仏の骨柱を建てたにもかかわらず
相次ぐ地震と火災(放火?不審火?)により
あくる745年8月23日
平城京の東。大養徳(おおやまと)国山金里金光明寺で地鎮祭が行われ
大仏を造立が開始されるのである。
この半年間に一体何が起きたのだろうか。
紫香楽宮と甲賀寺は、云ってみれば幻の宮と寺であったのだが
恭仁京、難波宮、そして紫香楽宮と
目まぐるしく宮を変えた
聖武天皇の真意は殆ど判っていないのである。
紫香楽宮と甲賀寺にしても、
最近まで甲賀寺を紫香楽宮と考えられていた。
もっと不思議な事は
紫香楽宮と甲賀寺で計画されていた大仏が
半年後に、東大寺に地に移行した途端
何故あのような巨大な金銅仏になったのか、誰も知らない。
歴史は何も語ってくれないのである。
この記事では私の知りたい事は書いていないが
離宮ではなく都の機能を持たせた大型の建物跡が見つかったとある。
いずれにしても、
来週の私の拙話に膨らみを持たせてくれる事は間違いなく
このようなタイミングで
記事が出た事は大変嬉しい事ではある。
歴史って本当に面白い。
