「デイサービスは行かん!」

と頑なに拒否していた父。


しかし、先日、熱中症気味で体調が悪くなった時、心配して来て下さったケアマネさんが、


「日中、家に一人じゃったら、また、こんなことになるんじゃないかって、娘さんも心配してと思うよ。

デイサービスに行ったら、涼しいし、水分も気をつけて取ってもらえるから娘さんも安心するよ」


と言ってくださって、


「じゃあ、お願いするかのぉ」

と返事した父。


頑なに拒否していたのに、私のためにと、受け入れてくれたのかとちょっと感動した。

まだそういう思いやってくれる気持ち残ってたんだあ、と。


だがしかし、

数日後、この日に体験できますけどどうですか?と具体的な話が始まると、


👴「体調が悪いから行かれんのぉ」


🧑「来週ぐらいならええんじゃない?」


👴「ええことばっかり言うて、金ばっかり取られてもしょうがない。行かんでええ。」


🧑「行ってくれた方が私が安心するんじゃけど」


👴「何でも言えば出来ると思っちょるんか知らんが、そうもいかん」


🧑「一人一人のレベルに合わせてくれてじゃけー、無理させちゃあないよ」


👴「とにかく今はえろうて行かれん」



まあ、結局行きたくないのだね。



私も毎回なだめすかして行ってもらうのはしんどいので、行かなきゃ行かなくてもいい。



かかりつけ医もケアマネさんも、デイサービスに行くのをいつも勧められる。



体の機能を維持するため、安全を確保するため、行った方がいいんだとは思う。



でも、父の言うこともわかる。


朝、支度して出掛けるの、めんどくさいよね。


行っても、自由気ままに過ごせないし。



このまま抗うことなく、静かに弱って朽ちていきたいよね。



父のDNAを引き継いでる私も、そう思うタイプ。


誰も居ないとこで、倒れて息絶えてもそれが運命よ、と。



介護するものとしては、


体力を維持して出来るだけ、自分のことは自分でして欲しいし、


一人で逝かせてしまったら、見殺しにしたような罪悪感がある、


とかあるんだけど。




消極的な終わりの迎え方でも、いいんじゃないかと思ってしまう今日この頃です。