思う | 何事も経験です

何事も経験です

40代で3人の
送るべき人を見送りました これからは私の人生を幸せに生きようと思っています 経験した全てのことを忘れずに幸せになります
もうアラフィフです



父親が呆気なく亡くなって、目を閉じると最期の父親の姿が鮮明に見えてくる



人は自分の最期がどんな風になるのか決められない



私は夫と母親を看取った
2人とも、だんだんと状態が悪くなり、ベッドの上で息が止まるのをそばでずっと見ていた



声をかけて、最期は、ありがとうって伝えて看取った



夫も母親も、意識がなくなって呼吸を必死にして、吸って吐いて、最期はもう息を吸うことがなくなって、
そう、これは本当に素晴らしいことだと思う



最期をしっかりと看取れたのだから、遺された側はちゃんと受け入れることができると思う



もちろん、ああすればよかった、こうすればよかったってそういう気持ちにはなるし、信じられない気持ちにもなる



でも、
駆けつけた時にはもう息がなかったらどうでしょうか
簡単に心と頭にその現実を受け入れられるのでしょうか



それでも、病院や施設の人に見守れながらや異変に気付いてもらったりしていたらまだ受け入れられるのかもしれない



でも父親は…
1人で逝ってしまったのです
座ったまま、目を開けたまま…



同居しているのは、今は私だけ



前日、確かに腹痛があり、一日中トイレへ何度も何度も行っていた



でも、麻薬のせいで便秘になった父親は自己判断で下剤を服用し、そのせいで腸が活発に動いてトイレへ何度も行っていた



私は便のこと、下血のことを父親に聞いて、珍しく聴診器を出してきて、腸音を聞き、血圧を測り、酸素濃度を測定し、脈拍をみた



そして、その状態を明日来る訪問看護師へ夜間に電話で報告をした



腸が動きすぎてるねと会話し、今晩は辛いかもね、水分だけはしっかり飲むように、麻薬飲んだら眠気がきて眠れるかもしれないから飲ませてくださいねと話して電話を切った



父親にもそのことを説明して、酸素ボンベが空になった事とカニューレがないから注文してくれと言われ、寝るように言った



その後、一度トイレに行った父親は、辛そうな顔をしていたけど、それはいつも見る父親の姿であり、特別にしんどそうには見えなかった



私は今夜は1階で寝ようかと思ったが、会話した事や下剤の事、訪問看護師と話した事で大丈夫だなと判断していつも通り2階で寝た



夜中に一緒に寝ている愛犬が吠えて、珍しく一人暮らししている息子が遊びから帰って来たと思ってそのまま寝てしまった



朝、4時過ぎに目が覚めて起きた



下に降りてまずはトイレに行ったが、そこでとても異様な状況を感じた



恐る恐る父親の部屋を覗くと、ベッドに座ったまま目を開けて反対側のベッド柵にもたれかかった状態でいた



私は一瞬、しんどくてそう座っているのかと思い、爺さん!!と声をかけたけど、もうそれが生きていない事を悟った



何度か呼んだけど、もうそれ以上近づく事も出来なくて声を出して泣いた



それでも電話しなくちゃと、1番に訪問看護師に電話をした



昨晩かけているので履歴ですぐにかけることができたけど、電話に出た看護師さんにこの状態を伝える事が出来なかった



それでも、訪問看護師さんはそれを悟ったのか、すぐ行きますねとそれだけを言って電話を切った



それから、姉や息子に必死に電話をしてとにかく誰か来て誰か来てと泣きじゃくった



座ったままの父親に近づく事も触る事も出来なくてただただ、泣きじゃくる私



息子や叔母が電話してくるけど、でるのがやっとでもう泣くことしか出来なかった



しばらくして、父親の妹が来て謝る私に、よくやってくれたよありがとうと言われ、益々自分が何も出来なかった事に申し訳なくて泣きじゃくった



座ったままの父親、目を開けたままの父親
本当に生きているような姿だった



その姿がやきついていて、今はまだ受け入れる事ができない

続く