書き留めていたものの、更新する機会を逃していたので、今更ながらの投稿です。

GWに自分の実家に帰省した時の話です。

 

の続きです。

 

私の両親は、父が先日の誕生日で80歳。母は73歳です。

年齢も年齢なので、それぞれ父は胃がん、母は乳がんに罹ったり、母は脱肛の手術、白内障の手術、昨年父は膝を骨折と、あちこちに体のガタがきています。

父も母もお互い認知症にならないようにと努めていて、特に父は数独をしたり、毎日散歩を欠かさずしていると。

2人とも老いたとは思うものの、父は80歳にしては、元気だなぁと。

父は、息子達が持っていたルービックキューブにはまり、息子達に面をどうやって面をそろえればいいか、教えてもらってました。

自閉っ娘りこちゃん。訳もわからないままではありますが、じぃじである父に「チュッ」としてくれます。

それが、父は本当に嬉しいらしく。孫は兄の娘たちも合わせて5人いますが、誰1人として、そんな「チュッ」

なんてしてくれなかったので。なので、

「俺は、りこちゃんにチューしてもらったから、いつ死んでもいいわぁ」と。

 

帰省中、母とはたわいものない話(だいたい、それぞれの配偶者の文句を筆頭に)を沢山できました。

その中で、近所のごみ屋敷化しているお宅の話に。

「ああはなるまいと思って、今終活で、色々ものを整理処分している」と。

それを聞いた私も「私が置いていったものは、全部、それこそアルバムから何から処分していいよ」と告げました。

何年もそこで誰の目にも触れられずいる品々は、きっとその役割を終えたものだと思うのです。

 

正直、自分の若かりし頃の写真なんぞ、見る気もないです。

記憶の中にある思い出だけで、充分満足してます。

 

自分の子ども達の写真は、もちろん、まだまだ見返したいですが、自分のはもういい。

母的には、私が子供達の写真を大切にとっておきたい気持ちがあるように、子供である私や兄の写真をとっておきたいのかもしれないけど、私の言葉を聞いて、母「じゃぁ、処分するわ」と。

そうだよね、もう、孫もいるしね。

 

アルバムの話から、母が「家のどっかに、自分の結婚式の写真があるはずなんだけど、あれだけは、どうにもこうにも早く処分したい」と。

自分の白無垢姿が、見るに堪えられないらしく、子孫に見せたくないようで(笑)

この母の娘の私。同じく、自分の結婚式の写真は、既にどうでもいいっていうか、同じく息子らに見せたくない代物になっていて。この母にして、この娘です。

 

写真といえば、母の姉(私からすると伯母)が、毎年自分の遺影にするべく写真をとっているとのことで。

母が「私のはどうしようかなぁ」と言うので、「双子(りこちゃんと次男)が産まれた時に、お義父さんお義母さん(旦那氏の両親の)と揃って記念写真撮ったじゃない。あの写真なんかいいんじゃない?」と提案。

母「それもいいかもね」。

何、この遺影の話をしている親子って。

 

遠方に暮らす私の思いを、この時、母に伝えました。

「私は、父ちゃん、母ちゃんに何かあった時、何もしてあげられない。ごめん。もう、何かあった時のことを考えると、心配で心配でならない。でも、どうにも何もできない。そうしたら、どうしたらいいものかねぇ」

 

母「手続き的なことは、兄ちゃん(私の兄)がやってくれるだろうから、それは大丈夫。」

「それより、あんたが倒れたら、残された家族がそれこそ終わりだから、とにかく体にきをつけなさい。」

 

心の中で、泣いてました。自分が情けなくて。

いつまで経っても私は母の子で、いつまでたっても母に頼っているダメな娘で、勝手な生き方をして、両親には何一つ恩返しができていなくて。

いつか、父や母が、私の知っている父や母でなくなる時が訪れて。

その時に、何もできない自分。

その時のことを考えると、ただただ胸が苦しくなるんだけど。

 

それでも、私は、あなた方の子として生まれて本当に幸せでした。

 

自分の子供達も元気で、父母もガタはきているけど、まだ健在で。

このまま、時間が止まっていてほしい。

今が幸せなんだという紛れもない証拠です。

恵まれています。

 

そう実感したGWの帰省でした。