
お立ち寄り下さり
ありがとうございます

もうあの日から11年
11年前のあの日。
心療系の病気を山ほど抱え
書ききれないので割愛
私は深い闇の中で
もがきながら仕事をしていた
仕事中にグラグラ…
立ちくらみ?
目の前のものが歪んで見えて
めまいが…
とうとう私ももうダメか〜

と
思ってたら幻聴までも…
ふぶきさーん‼️
地震だから‼️
にーげーてー‼️
ん?違うな、
その当時の班長の声だった‼️
やべーと思って逃げるも
地面が波打って
ぐにゃんぐにゃんに見える…
足は千鳥足
上手く走れない
頭の上のクレーンが
ありえない音で
ガッシャンガッシャンいってる
必死で走り
工場から出る
外も地面が歪み波打って
電信柱もぐにゃぐにゃ揺れて
そのまま立ってれば
船酔いみたいな気持ち悪さ
みんなでしゃがんで
揺れがおさまるのを待つ
でもなかなか収まらない
コールセンターの
お姉ちゃん達が
恐怖で泣き出すと同時に
4階食堂のガラス張りの窓が
ガシャガシャと
すごい音をたてる
最悪なのはその真下が
ウチらの避難場所

部長が
別の場所に避難するぞ‼️
と言い、
みんなで場所を移動した瞬間
ガシャーン‼️
ガラスが割れて
スローモーションのように
落ちてきて
地面に
ガッシャンガッシャンと
叩きつける




初めて
死ぬかも…

と思った瞬間だった
あと数秒避けるのが遅かったら
何人かが大怪我してただろう
みんな
顔面蒼白で
その場でしゃがみ込んだ
10分くらい揺れてた様なかんじで
多分揺れは収まってるのに
まだグラグラしてる感じが
全然取れなくて…
揺れが収まって
工場へ入ったら
もう大変なことになってて
とても仕事できるような状況じゃなく
落ちた材料
倒れた棚
傾いたクレーン
クラッシュした機械
アカン…

それでも仕事やるんだよ
この仕事場…
片付けしながら
3時の休憩中
休憩室のテレビで
この世のものとは思えない
光景が放送されていた
津波が
防波堤を飛び越えて
美しい景色
人々が住んでいたその町を
あっという間に飲み込んで
瓦礫の山に変えてゆく
寄せては引いていく濁流の中で
人々が瓦礫に掴まって
漂ってた
信じられない
ホントに
今そんなことが起こってるの?
何度も心に確認する
その場所が故郷という子が
その当時いて
嘘だろ…
と呟いて固まっていた
彼の実家は無事だったけど
しばらく連絡が取れなくて
生きた心地がしないと言っていた
その後
まだ仕事をしてるこの仕事場
うちが心配だったけど
家族に電話繋がらなくて
定時まで仕事して←
うちに向かったけど
すっごい渋滞で
と同時に
なんか歩行者が異常に多くて
???
って思ってたけど
いつも30分で帰れるのに
1時間半もかかった
うちに帰ってから
交通機関が全てストップしてるのを
ニュースで見て知った
水槽は
水が半分ぐらいなくなってて
それでも魚たちは無事だった
そして旦那に
あんな大きな地震があっても
あの工場は←私が行ってるところ
仕事してるとか
有り得ねぇ💢
って言われた
うん確かに( ー̀дー́ )
今年は奇しくも
あの日と同じ金曜日
色々フラッシュバックするなぁ…
3月は色々辛いことを思い出してしまう
一生忘れられない
いや
忘れてはいけないと思う
亡くなられた方に
ご冥福を
被災された方々には
何年経っても癒されようもない心…
少しでも心の回復が出来ますように
祈ってます
今このご時世での
戦争
各地の被害…
目も当てられず
もう悲しすぎて
ニュースが見られない
現実を受け止められない
自分がいます
1秒でも早く
戦争が収まりますように
平和を願って
祈ろう
祈ることしかできない
自分がもどかしい
しばらく更新できないかも
しれないのと
忙しすぎて(;д;)
コメントが返せるかどうか
わからないので
コメント欄閉めてます🙏