誰もが知ってるアニメ、ドラえもん。

その登場人物もまた超有名。

ドラえもん、のびたはもちろん、ジャイアン、スネオ、しずかちゃん。ジャイ子や出木杉君、ドラミちゃんもいい味出している。

のびたは、なにをやってもダメなやつだけど、心優しくいざとなったら誰よりも勇気のある少年だ。

しずかちゃんは、可愛くて性格もいい。非の打ちどころのないマドンナ的存在だ。

で。

ジャイアンは、あれだ。「俺のものは俺のもの。お前のものも俺のもの。」体が大きいからそれだけで威圧感ハンパない。ことが起因するのか、痩せのガリであったとしてもこのキャラが成立していたのか・・・とにかく現実としては体の大きいジャイアンの暴力による支配が出来上がっている。「誰でもいいから殴りたい気分なんだ」とのびたは殴られる。

そしてスネオはジャイアンの腰ぎんちゃくだ。虎の威を借る狐だ。スネオはお金持ちだけど、ドラえもんにおける子供社会においてはお金は権威とは関係がないようだ。つまり、お金持ちのスネオよりも暴力のジャイアンがカースト上位なのだ。そして二人して「のびたのくせに」とのびたを見下している。

・・・というのが基本の関係性なのだが、時として。映画では100%、彼らは友情の名のもとに結束する。ジャイアンはのびた見捨てないし、守る。スネオは風見鶏感は否めないが、それでも正義を行使する。

ジャイアンは”ガキ大将”つまり、威張っていても、いざというときには弱い者を守る。ということが、どちらかというと好意的に受け取られる人物像になっている気がする。

 

7歳の息子が言った。

「僕はスネオになりたい。」

ん?お金持ちだから?

「どうして?」

「だってジャイアンと遊んでるから」

珍しいタイプだ。ここはふつう”のびた”が正解だ。本当は優しくて強いんだ!的な感じで。しかも一見強うそうなジャイアン。でもなくて、その”ジャイアンと一緒にいることができる”スネオ。

・・・・。いや、でもスネオは虎の威を借ってるずるい奴・・・ですけど?

スネオには間違いなく純粋な友情に付随した打算があるはずだ。ジャイアンと一緒にいることによって得る利益を計算しているはずだ。

息子は実生活を見ても、強い子に無条件に憧れを抱く傾向にあるようだ。怖いのは、”無条件に”というところで、強いことが悪い事ではない、あたりまえに。だけど、その強さの中に優しさがあるかということが重要で、弱い者いじめは決してカッコよくないし、力の強さがイコール人間としての強さではない。という事がまだ理解できていない。(発達障害の傾向もあり思考に偏りであったり、拘りがあるのも要因かと思うが)

息子の話はさておき。

いや、さておかないのか。つまり、私はジャイアンやスネオについて、息子にどう説明していいのかがわからないのだ。映画などで見る彼らは正義感と友情に厚い好青年。しかし、日常的には暴力で支配するジャイアンと虎の威を借るスネオ。

いざという時に弱い者を守るのなら、それ以外の時の弱い者いじめは許されるのか。ジャイアンがしていることは、あからさまに暴力だ。アニメだから設定として成り立つのかもしれないが、実社会においてはそうそううまくいく関係性ではない。子供でも大人でも。

芸人のお笑いの一部がイジリなのかイジメなのかという事で物議を醸しているが、私は本人たちの意図は別として、結果いじめに繋がる危険性を否定できないと思っている。私は、はっきり言って常識人なので、テレビで見る芸人のいわゆる”いじり”を演出だと認識して観ているし、ましてや立場の弱い人に対して強要しようなどとは普通に思わない。個人的には決して好きではないが、お笑いとしてのその手法を否定する気はない。しかし、受け入れ側の土壌、つまり日本社会は演者が期待するほど成熟してはいない。まともな人ばかりではないのがこの社会だ。芸人が悪いのではない。ただし、いじめを誘発する危険性は確実にあるのが現実であるという事実だ。

話がそれたが、ジャイアンが善か悪か。白黒つける問題じゃないのだけど、やはり暴力そのものが悪であることは昨今の社会では常識なワケで。だけど、暴力は悪だけどジャイアンは善であるというパラドックスは子供には(特にうちの子には)説明がつかないわけで。

 

みんなちがってみんないい・・・

伝える難しさ・・・