古今東西、なくならないのが”いじめ”だ。
私自身は壮絶ないじめ体験はしたこともされたこともない。ちょっとからかわれて嫌な気分になったことくらいは人並みにあるし、意図せず他人を悲しい気持ちにさせてしまったと悔やむことくらいなら売るほどあるが。(もし、その相手が私が想像する以上にダメージを受けていたとすれば、本人がそれをいじめというのなら、あるいは私は加害者なのかもしれないが)
子供というものを授かり、育てているうちに直面するいじめ問題。長男の場合は、いわゆる発達障害のグレーゾーンで、コミュニケーションにおける障害があるように思う。うまく説明できないけど、相手の気持ちをくむとか、相手の立場を想像するとかは苦手だ。会話にしても、話の要点を捉えることが苦手なので、本筋とは全く関係のない言葉一つに反応し、連想ゲームのように違う話が始まるので、こちらが伝えたいことが伝わらないことが多い。困ったことに、本人もおそらくその事実、自分の状態をある程度把握しているので、状況に応じて過去の引き出しから同じ状況で使った言葉を引っ張り出してみる、という本人なりの正攻法を編み出している。それがうまくいく場合には、傍目からはとてもスムーズで違和感のない会話に聞こえる。定型発達であれば、獲得した言葉を状況に応じて応用するのだろうが、うちの子の場合はおそらくは、こう言われたらこう答える、という暗記作業であるため、時として場にそぐわない頓珍漢な反応になってしまったりもする。そして、過去の記憶にない状況に陥った時、とっさに何をどう答えていいのかわからず沈黙になってしまったりもする。そんな息子にあからさまに、この子おかしい。という接し方をする子もいる。その気持ちもわからなくはない。ましてや子供が、いやいやこの子は頑張ってるんだからちゃんと聞いてあげよう。なんて気遣いあれば逆に驚きだ。素直な反応なのだから責めようがない。
さて。いじめのメカニズム。
子供の成長は”成功体験”もしくは”失敗体験”が大きく関わってる。いじめについてもこれが当てはまる訳で。
子供が生まれながらに、いじめてやろうという意思を持って、いじめを始めるという事はほぼない。そのきっかけは些細なもので、そもそもいじめの意図はないはずだ。おそらく、その始まりは幼少期にあると考える。
年長のA君は空手を習っている、やんちゃな子。ある日、戦いごっこをしたらB君に勝った。テレビのヒーローの真似をして技をかけてみたら面白いほどかかった。この時、B君は内心怖いと思いながら我慢をしていることにA君は気が付いていない。この時点でA君にはいじめの認識は当然微塵もない。しかし、A君の純粋な探究心はエスカレートし、そうだ、あの技も試してみようと更なる追い打ちをかける。この時点でB君は泣きそうな顔になり耐えている。(B君は「やめて」という選択肢を見つけることができなかったのだ)A君はB君の困っている様子に気がつくが、手を緩めることはない。近くで見ていた保護者の注意でA君はB君を解放した。
これがA君にとって、B君には何をしてもやり返してこない。という歪んだ成功体験となる。B君には何をしてもいいんだと。大人に見つからなければ大丈夫、と。
もう一つの話。
1年生になったB君。同じクラスのC君は家もお隣同志。ある日、共通の趣味であるベイブレードで遊ぶことになった。C君はベイを1種類持っていたが、B君は沢山のベイを持っていた。仲よく遊んでいるように見える二人の会話に耳を傾けていると、C君が言った。「これ、もらっていい?」Bくんは答えた「・・・・。あー。お母さんがいいって言ったら。いいよ」かなり弱気だ。押し切られたらあげてしまいそうな雰囲気だ。たぶん、C君は単純に欲しいものを欲しいと言っただけだ。でも、ここでB君がもしも断りきれずにあげしまったら。おそらくC君にとって、B君は”言えばくれる”子として認知される。まったく悪意のないところから成功体験が出来上がり、それは放置されればいじめへと発展しかねない。
お気づきの通り。B君は息子である。
C君との出来事は、C君はそれ以上強く言わなかったけど、C君帰宅後、息子には「大事なものを簡単にあげるっていっちゃダメなんだよ。あげることはできないってはっきり言えばいいんだよ」と伝えた。
A君に関しては、既に私から見れば加害者被害者的な関係性の芽を確立しつつある状況が窺える。A君は大人の目を気にしながら息子を対等の友達ではない目線で見下している。
しかし、A君の母親は接する限りごくごくまともな方で、環境が性格形成に影響しているとは思えない。しかもA君には3歳年上の兄がいるが、兄の方は穏やかで、むしろうちの息子に近い性質を持っている。(これはママさんと話してて共感するところで、彼女も兄に関してはいじめの対象になりやすい性格なのではないかと心配していた)
生まれ持った純粋にやんちゃな性格が、ある成功体験を得たことで、ある方向へと舵をきる。
真水にすこしずつ黒い水を垂らしていくみたいに、透明だったものが見には見えないくらいのスピードで濃度が高くなっていって、気が付いたら黒くなっていたとか、そんなものなんじゃないかと思う。悪意ではなかったものが、悪意に変わり、徐々にそれも麻痺してあたりまえになる。相手の気持ちが見えなくなるのを通り越して、相手には”気持ちが存在しない”になってしまうんじゃないだろうか。
なくならないかもしれない。だけど、たぶん減らすことができる。
日本は教育事情が遅れている。もっと幼児教育に力を注ぎ、性格形成の基礎となる時期を大事に大事に導ける環境を作るべきだ。(この問題も話が長くなりそうなので、これはまたにしよう)