コロナ禍の「面会制限」はなぜ今も続くのか
アリの一言 2025年07月18日 | コロナ禍と政治・社会

コロナ禍で行われた病院や施設の「面会制限」。精神科医の高木俊介氏によると、「5類になってちょうど2年の今年5月に全国の大学・日赤病院について調べたところ、昨年9月の調査からほとんど改善されていない」(15日付京都新聞)といいます。なぜなのか?それはどういう意味を持つのか?
高木氏は「「やめよう、面会制限」再び」と題したコラムでこう指摘します(抜粋)。
<家族や親しい人の死に際に会えない苦悩と悲嘆、家族と会えずに弱っていくお年寄り、家族と縁遠くなるばかりの施設入所している障害者が後を絶たない。
最期の時には会ってもらっています、と弁解する医療者もいる。逆に言えば、末期にならなければ会えないということだ。日常の当たり前を例外とすることが、医療の常識になってしまった。知らず知らずのうちに、医療を最優先して他を顧みない考えが社会に一般化したかのようだ。
そのようなことが5年間続き、その間に育った新人医療者は、それを当然と考えるようになった。なぜ、煩わしい面会の世話をしなくてはならないのか、私たちだって大変なのだ、と。
海外では厳しすぎた制限の反省から様々な検証が行われ、面会制限に科学的根拠がないだけではなく、患者や家族の健康に悪影響であるとしている。実際、面会制限の厳しい病院でも感染が起こる。
根拠のないことを権威ある医者が言えば、それは強制と服従の関係になる。その関係が当たり前になれば、社会全体が権威にかしずくだけの、全体主義的社会になってしまう。>(15日付京都新聞)
磯野真穂・東京科学大教授(文化人類学)も「面会制限の恒久化」に警鐘を鳴らしています。
磯野氏の調査では、「ペットは許可だが、孫はダメ」(ある東北地方の緩和病棟)、「病院の受付から退館まで20分、面会時間は10分のみ」(長野赤十字病院)などの例があります。
磯野氏は、「社会には、明文化しないままに人をある方向に動かす力がある」と警告します(5日京都市内、シンポジウム「ポストコロナを探る:パンデミックは私たちの社会と生活をどう変えたのか」での報告、写真右)
高木氏と磯野氏が共通して指摘しているのは、根拠がない(非科学的な)ことでも、「権威」あるもの(その最たるものが政府でしょう)が主張すれば、人々をある方向に動かすことができるということ、それが全体主義社会だということです。
参政党など右翼政党が伸長する背景には、「3・11」という大きな社会的出来事を検証して社会改革に繋げることができず、逆に「ネオコン」を誕生させた経緯があると分析した書籍を紹介しましたが(17日のブログ参照)、「コロナ禍」も同じことが言えるのではないでしょうか。
どちらも安倍晋三政権が深くかかわっていたことはけっして偶然ではないでしょう。
非科学的な「陰謀論」のまん延を食止め、社会の全体主義化を防ぐためにも、「コロナ禍」を科学的に徹底検証し、教訓を導くことが必要不可欠です。