読書室
ダニエル・ソカッチ著『イスラエル 人類史上最もやっかいな問題』NHK出版 2023年7月刊 本体価格2600円

〇世界が注視するイスラエルを知るための最良の入門書。実際、教養があると自覚する人ほどイスラエルーパレスチナ問題に白黒をつけるよう論陣を張っている。
だが本当はイスラエル人とパレスチナ人はどちらも正しく、どちらも間違っているのだ。どちらも現実の自分にはどうにもできないお互いの歴史的な力の、そして現在の自分自身も犠牲者だからである。
それは一体どういうことなのか? 本書はそれを詳しく展開する必読書である〇
著者の立場
著者のダニエル・ソカッチは、イスラエルのデモクラシーを名実共に達成させるためのNGО「新イスラエル基金)」のCEО、そしてアメリカ在住のユダヤ人である。
同基金は宗教、出身地、人種、性別、性的指向に関わらず、すべての国民の平等を確立すること、パレスチナ市民やその他の疎外された少数派の保護及びあらゆる形態の差別と偏見をなくし、すべての個人と集団の市民権と人権を確立すること、
イスラエル社会の本質的な多元性と多様性を認識し、それに対する寛容性を強化すること、マイノリティの利益とアイデンティティの表現及び権利のためのデモクラシー的な機会の保護、イスラエル及び近隣諸国と平和で公正な社会を構築し維持すること等を目標に掲げて活動している。
ソカッチは、本書で「プロパガンダに陥りもせず、読者のあくびを誘うこともなく、世界でも類を見ないほど複雑な紛争の歴史と概略を説明したいと思う。しかしプロパガンダにかまけるつもりはないとしても、私には一つの企図があるし、ある特定の観点から記述を進めていく。
イスラエルーパレスチナ紛争は本質的に、歴史家のベニー・モリスが『正義の犠牲者』と名付けた者同士の闘争だ」とし、要するにイスラエルはグレーだとする。
「つまり両者とも土地に対する正統なつながりと権利を有し、外部の世界の、お互いの、また自分自身の犠牲となってきた二つの民族である。
それは土地をめぐる紛争であり、記憶と正統性をめぐる紛争でもある。生存権をめぐる紛争であり、自己決定権をめぐる紛争でもある。生き延びることに関する紛争であり、正義に関する紛争でもある。
それは、その信奉者が完全に『正しい』と見なす相容れない語りをめぐる紛争」と彼は認識する。
その上でソカッチは、「これらの語りは、実体験のみならず、物語や宗教的伝統、家族やメディア消費や政治的信念によって―また故意かどうかは別にして、様々な程度の無知によって―支えられている。イスラエル人とパレスチナ人の紛争を解決することの最大の障害は、政治的想像力の欠如ではなく、政治的意志の欠如」にこそあるとしたのである。
本書の構成
本書は全396ページの大著である。まずは2部構成となっている。第1部は、旧約聖書の時代から現代に至るまでのイスラエルの歴史を大きく概観し、第2部は、イスラエルをめぐる現代の厄介な論争のいくつかを検討している。それでは全体の目次を紹介する。
第1部 何が起こっているのか?
1章 ユダヤ人とイスラエル―始まりはどこに?
2章 シオニストの思想―組織、移住、建設(1860年代〜1917年)
3章 ちょっと待て、ここには人がいる――パレスチナ人はどうなる?
4章 イギリス人がやってくる――第一次世界大戦、バルフォア宣言、イギリス委任統治領の創設(1917〜39年)
5章 イスラエルとナクバ――独立と大惨事(1947〜49年)
6章 追い出された人びと
7章 1950年代――国家建設とスエズ危機
8章 ビッグバン――第三次中東戦争とそれが生み出した現実
9章 激動――ヨム・キプール戦争から第一次インティファーダ(1968〜87年)
10章 振り落とす――第一次インティファーダ
11章 イスラエルはラビンを待っている
12章 賢明な希望が潰えて――オスロ合意の終焉
13章 ブルドーザーの最後のサプライズ
14章 民主主義の後退
第2部 イスラエルについて話すのがこれほど難しいのはなぜか?
15章 地図は領土ではない
16章 イスラエルのアラブ系国民――共生社会か、隔離か?
17章 ラブ・ストーリー?――イスラエルと、アメリカのユダヤ人コミュニティ
18章 入植地
19章 BDSについて語るときにわれわれが語ること
20章 Aで始まる例の単語
21章 Aで始まるもう一つの単語
22章 中心地の赤い雌牛――イスラエルとハルマゲドン
23章 希望を持つ理由
補足しておけば、私たちが本書を読む際のイスラエルの歴史的事件等に関する諸事実の錯綜を正確に整理するために役立つ、イスラエルーパレスチナ「紛争に関する用語集」が付いていることも皆様へお知らせしておこう。
この付録は私たちにとって実に利用価値の高いものである。また詳細な人名索引があることも大変助かる配慮だと考える。
子供は大人の9割よりこの紛争の核心をよく理解した
ソカッチは、カリフォルニアで11歳の子供たちにどこまで理解し吸収してくれるかは分からなかったが、何千年にも及ぶユダヤ人の歴史を大急ぎで駆け抜け、現在のイスラエルの状況、つまりシオニストとパレスチナへのユダヤ人大量移民の話をしたのである。
その話をある子供が整理して見せた。
「僕は生まれた時から、自分の土地にある自分の家で暮らしてきた。両親もお爺さんもお婆さんも、ひいお爺さんもお婆さんもみんなここで暮らし、僕と同じように土地を耕してきた。いつも誰かに家賃を払っていたけど、ずっとここで暮らしていた。ある日、畑に出て夕方に家に帰ってみるとこの人(隣の子を指し)とその家族が僕の家の半分で暮らしている。僕が『おい、僕の家で何をしてるんだい?』と言うと、彼は『僕たちはここから離れた町を追い出されたんだ。近所の人は殺され、僕たちの家も焼かれた。他に行く所はないし、受け入れてくれる所もない。だからここにきたんだ。ひいお爺さんお婆さんの、ひいお爺さんお婆さんの、そのまたひいお爺さんお婆さんが遙か昔に暮らしていた場所にね』―というわけで、どちらも正しいが、どちらも他に行く所がない。こんな感じでいい?」と。
実際、子供ながらも何という優れたまとめ方であろうか。
彼の話を聞いたソカッチは、「君は世界で最も複雑で解決困難だという人もいる問題の本質を簡潔に言い当てたんだ。私がこれまで話をしてきた大人の9割よりこの紛争の核心をよく理解しているね」とその子のまとめ方に感心して大いに褒めたのである。
現実にイスラエルの作家で平和運動家のアモス・オズはこのように言った、シオニズムは「正当性を備えている。それは溺れる者が唯一しがみつくことが出来る板にしがみついているという正当性だ。この板にしがみついている溺れる者は、自然的、客観的、普遍的な正義のあらゆる法則によって板の上に自分のスペースを確保することが許される―そうすることで、他人を少しばかり押しのけざるを得ないとしても。たとえ板の上に座っている他人が、力ずく以外の手段を彼に残さないとしても。だが彼にも、板に乗っている他人を海に突き落とす自然権はない」と。
このようにまさに問題はシンプルそのものである
ソカッチもイスラエルの偉大な作家と先に紹介したある子供のまとめ方は同じで、要するにこれがイスラエルーパレスチナ問題の原点であり、すべてだとまとめたのである。
イスラエルのジレンマ
とはいえ左派の労働シオニストで建国の父であるベン=グリオンは、当然のことながらパレスチナのアラブ人の恐ろしい苦境と尽きることのない怒りを充分に理解していた。
実際、ベン=グリオンは、「確かに神は我々にその地を約束してくれたが、彼らにしてみればそれが何だというのだろう? 反ユダヤ主義、ナチス、ヒトラー、アウシュヴィッツなどが現われたが、それは彼らのせいだったのだろうか? 彼らが目にしているのはただ一つ。我々がこの地にやってきて、彼らの国を奪ったということだ」と発言している。
ベン=グリオンもこの建国の試みが無理筋だということは充分理解していた。だが現実の全世界で自分たちを受け入れる国がない中では、彼らユダヤ人も必死だったのである。
イスラエル建国でこの地にいたアラブ人70万人がユダヤ人のように離散民となってしまい、70年後の現在では今やその子孫は500万人になって世界中に散らばっている。
あまりにも知られていないことがある。それはイスラエルの中の民族構成である。イスラエル人国家を自称しながらも、イスラエルには建国時からここに踏みとどまったアラブ人がいる。この数は何とイスラエルの全人口の2割を越えるという。あらゆる国民に平等を保障するデモクラシーの国を自認する国家がユダヤ人のためだけに存在すると公言しているのはなぜか?
この疑問こそ建国以来のイスラエルのアイデンティティのジレンマの核心だ。その他、イスラエルに流入したユダヤ人内にも露骨な差別がある。ユダヤ人と言っても、当初結集したホロコーストの生き残りやソ連からの移民の他、ミズラヒ系ユダヤ人と実に多彩である。ミズラヒ系とは中東や北アフリカから逃げてきたアラビア語を話すユダヤ人である。
彼らは当然ながらも貧しく、またヨーロッパ系ユダヤ人とは外観も食事や文化も大きく異なっていた。したがってアシュケナージ系労働シオニストの主流は彼らを、イスラエル市民となるには再教育と啓蒙が必要な粗野な人々とみなした。
つまり皮肉にもイスラエル市民を自覚する主流派のヨーロッパ系ユダヤ人はかってヨーロッパで行われていたユダヤ人差別を国内のミズラヒ系ユダヤ人に対して行っていたのだ。そして今やその彼らもヨーロッパ系ユダヤ人との混血もあり、人口は100万人もなっている。
建国以来の戦争でイスラエルはヨルダン川西岸等の広大な区域を確保・占領し、ユダヤ人入植者をその地に送り続けていて、いまだに止める気配すらないのである。
ソカッチは、これらのことを「ベン=グリオンの三角形」と呼ぶ。ソカッチは、まず「イスラエルがユダヤ人が多数を占める国家である。次にイスラエルはデモクラシー国家である。最後に新しい占領地をすべて保有する。イスラエルはこの内の2つを選ぶことはできるが、3つ全部を選ぶことはできない。どの2つを選ぶかでイスラエルの国家像が変わる」と問題提起した。
かくしてまさにイスラエルは深刻なジレンマを抱えることなった。
現実にも国内でのアラブ系住民とミズラヒ系住民の存在は、イスラエル社会に各種の階層を形成し複雑化して、その意味でイスラエル社会の政治的不安定要素となっている。
このような状況の中で作られているイスラエルの政治制度は、完全比例代表制であるから当然にも小党の乱立状況となる。ゆえに歴代の政権は常に政策合意による連合政権だ。
この間、第一次~第四次中東戦争後も小競り合いは続き、両者は闘いの中で疲弊していった。彼らたち自身が、この闘いが不毛であり、原点へと回避せざるを得なくなった。こうしてクリントンらの仲介の下にオセロ合意が提案されたのであるが、イスラエルで唯一それを履行する能力と統率力があったラビン首相は、悲劇的なことにオセロ合意に強く抗議する合意反対派の宗教シオニストの学生に暗殺されてしまったのである。
またアラブ側の反対勢力のハマスとヒズボラは後継首相ペレスに執拗に戦闘をしかけたので、耐えきれず結局は反対勢力でライバルのネタニヤフに政権を奪われてしまった。かくしてオセロ合意は終焉し、ネタニヤフは一旦は辞任したものの、再登板して現在に至る。
イスラエル社会を大きく揺るがすユダヤ教超正統派の徴兵問題
建国以来、ユダヤ教超正統派には、宗教的な配慮等で事実上兵役が免除されてきた。超正統派の人たちがユダヤ教の教えを学ぶ上で兵役が妨げとなり、世俗主義に染まるとの懸念もあり、兵役に就くことに強く反対してきたからだ。ただガザ地区での軍事作戦が長期化し、イスラエルの兵士300人以上が死亡、4000人以上が負傷する中で、超正統派の人たちだけが兵役に就かないでいることに国内での不平不満が高まってきたのだ。
イスラエル国防軍は、ユダヤ人とドルーズ族とチェルケス人の18歳以上の国民全員に、男性は最低32カ月、女性は最低24カ月の兵役を義務付けているが、例外的にこれまではユダヤ教超正統派の学生は1948年の建国時から兵役を免除されてきたのである。
こうした状況を受けイスラエルの議会でも彼らへの徴兵の議論が徐々に進んできた。それに反発する超正統派の人たちは、毎月のようにエルサレム市内で座り込みによる抗議デモを繰り返し、交通機関を麻痺させ兵役免除の撤廃反対を表明してきた。彼らの言い分は「ユダヤ教の教えを学ぶことで国を助けている」というもので、全くの理解不能である。
今年の6月25日、イスラエル最高裁判所は、判決の中で「厳しい(ガザ)戦争の中にある今、不平等による負担はこれまで以上に喫緊の課題であり、持続可能な解決策を進めなければいけない」と指摘し、超正統派のユダヤ教徒の学生を徴兵するよう政府に命じる判決を言い渡す。このように宗教シオニストの中核には何と兵役がない。彼らがアラブ人に対して常に強硬な姿勢と徹底抗戦を要求しているのもここに理由があったのである。
この超正統派と呼ばれる人たちは人口の凡そ1000万の内の13%ほどを占め、土曜日の安息日を守りつつ仕事に就かない人も多く、世俗的な社会から距離を置いて生活を送り、宗教学校への補助金や超正統派の家庭への生活保護など、政府による経済的な支援が長年続いている。この優遇策には超正統派の人口増加に伴い、国内にも強い批判がある。
イスラエル最強硬派の宗教シオニストにこの優遇措置があったとは全くの盲点だろう。
今回最高裁は全会一致で「現時点では神学校に通う学生と徴兵に就く学生を区別する法的枠組みは存在しない」と判断し、「政府には徴兵の回避を指示する権限はなく防衛服務法の規定に基づき対処しなければならない」とした。またユダヤ教の神学校には政府から補助金が支給されているが、最高裁は兵役に就かない学生が通う神学校に対しては補助金の支給を停止する判決を下す。この優遇措置の存在を全く知らなかった私は本当に驚いた。
この判決を受けて野党・労働党党首のヤイル・ゴラン氏は、「イスラエルの全ての国民が理解できるものであり、判決は最高裁裁判官全員にとっても満場一致で理解できるものだった」と投稿した。やっと労働党もこのタブーを論評することができたのである。
この判決を受けてエルサレムでは6月30日、超正統派の人たち数千人が大規模な抗議集会を開いて抗議の意志を改めて示した。だからネタニヤフ首相は、大多数の国民からの要望に応じて徴兵を進めれば、超正統派からの強い反発を招くことが必至となった。
大規模な抗議集会を開いた超正統派の人たち数千人は、道路を埋め尽くして口々に「徴兵されるならば、死を選ぶ」などと声を上げて抗議の意志を改めて示し、「我々はユダヤ教の教えを学ぶことでイスラエルを守っている。兵士よりもユダヤ人を守っている」とか、「私たちは多くの子どもを持つことで、国を守っている」と言って抗議したのである。
全くもって兵役に就かざるを得ない国民からすれば、彼らはいい気なものではないか。
ネタニヤフ首相の判断はいかに
ネタニヤフ首相の連立政権に加わる2つの超正統派の政党は、今回の判決に反発し、超正統派の徴兵を開始しないよう訴えた。仮に超正統派の政党が連立政権から離脱することになれば、当然ながらネタニヤフ首相は自分の政権を維持することができなくなる。
最高裁判決を受けてイスラエル当局は、超正統派の3000人に招集令状を送付し、イスラエルのカッツ国防相は先週、追加で7000人に招集令状を送ると述べたのである。
だがタイエブ准将は、超正統派の1万人が兵役に就いても充分とはいえない可能性があると指摘、「イスラエル軍は兵士を必要としている。我々は1万人という数字に言及したが、残念ながら死傷者が出ているため、これは安定した数字ではない」と述べた。
野党指導者は、直ちに追加の招集令状を出すようカッツ国防相に要望し、招集に応じなかった者に対する取り締まりを拡大するよう求めた。11月17日には、テルアビブ近郊で警察と超正統派のデモ隊との小競り合いが起きた。11月19日、イスラエル軍は招集令状に応じなかったユダヤ教超正統派の1126人に対する逮捕状を取ったと発表した。
このことで兵役免除撤廃に対する超正統派の不満に一層の火が付くのは必至の状勢だ。
また11月21日、国際刑事裁判所はパレスチナ・ガザ地区での戦闘をめぐり戦争犯罪や人道に対する犯罪の疑いで、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相、ヨアヴ・ガラント前国防相、イスラム組織ハマス軍事部門カッサム旅団のモハメド・デイフ司令官に逮捕状を出した。ここに至ってネタニヤフ首相は国際的な戦争犯罪人とはなったのである。
まさに日々刻々とイスラエルの政治状勢は変化している。ネタニヤフはどうするのか。
ネタニヤフは政権を維持せんがため、超正統派が連立政権に残るように補助金や手当の増額といった手段を使って、様々に超正統派の政党を連立政権に引き止める工作をするだろう。だが世論調査では、イスラエルのユダヤ人の凡そ70%が超正統派にも徴兵義務を課すべきだと主張しているから、彼らに徴兵義務を課すことにならざるをえないのでは。
それにしてもいまだ3割近くの人々が超正統派への生活保護や兵役免除等の優遇策を支持する事実には私たちは驚くしかない。
今後、ネタニヤフ首相が策を弄して政権を維持するために超正統派と何らかの形で取引をし、彼らを結果的により一層優遇することにでもなれば、ネタニヤフ政権の崩壊も充分ありうる展開となるだろう。今後とも兵役免除撤廃の問題からは目が離せないことになる。
本書刊行後のことながらイスラエル政治の一断面を鋭く暴いた事件ではある。
事程左様にイスラエルの国内政治の動向は、私たちにはあまりにも知られてはいないのである。その意味において本書での基本的な情報は貴重なものであろう。
イスラエルの諸問題や今後のイスラエルを考える上でも本書の一読を薦めたい。