体操・宮田選手辞退の背景とは? | ワーカーズの直のブログ

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体操・宮田選手辞退の根源は五輪の国家主義

アリの一言 2024年07月22日 | 五輪と政治・社会・メディア

 

  

 

体操の宮田笙子選手(19)(写真中=朝日新聞デジタルより)が「飲酒・喫煙」でパリ五輪の出場を辞退しました。これは宮田選手の「不祥事」の問題ではなく、アスリートを不当に抑圧しているオリンピックの国家主義に根本的な問題があります。

 

2つの問題を考えたいと思います。

 

1つは、宮田選手はなぜ「飲酒・喫煙」したのかです。

 

宮田選手は「規則の重みをすごく理解していて、自分の行為に対して真摯に向き合う姿勢が印象的だった」(19日記者会見した日本体操協会の西村賢二専務理事)といいます。「規則違反」を百も承知でなぜ行ったのか。

 

「設定された目標に対して、数々のプレッシャーがあり、そのような行為に及んでしまった」と宮田選手は述べていると西村氏は言います。藤田直志協会会長も会見で、「日本代表選手はプレッシャーに日々さらされている」と述べました。

 

宮田選手の辞退について、常見陽平・千葉商科大准教授(働き方評論家)は、「そもそも男女問わず、アスリートが飲酒、喫煙しないという点が大間違いである。ストレス、恐怖心、プレッシャーと向き合うため、あるいは純粋に味が好きなど様々な理由から、飲酒や喫煙をするアスリートは日本代表クラスでも存在する」とコメントしています(19日付朝日新聞デジタル)。

 

「飲酒・喫煙」の背景に「日本代表選手」としての「数々のプレッシャー」があることを注視しなければなりません。

 

もう1つは、日本体操協会の過剰な「行動規範」です。

 

日本体操協会は「代表選手に対し、20歳以上であっても代表活動中の飲酒を禁じ、喫煙も原則的に禁止とする行動規範を策定」(21日付朝日新聞デジタル)しています。

20歳以上の飲酒・喫煙は法律で認められているにもかかわらず、それを「行動規範」で禁止するのは個人の権利の侵害ではないでしょうか。まして上記のように、ストレスフルなアスリートに対してです。

 

おそらくこの種の権利侵害はほかにもあるでしょう。また体操協会だけでなく各種のスポーツ団体・協会において同様の「行動規範」(規制)はあるでしょう。そうした協会の権利侵害は高校野球など学校の部活における過剰な規制・規律と無関係ではないでしょう。

 

体操協会はなぜこのような過剰な「行動規範」を設けているのか。「日本代表選手」として好成績をあげるため、あるいは「日本代表」としての道徳的規範を示すためでしょう。そこにあるのは、オリンピックは「日本」を代表して出場するのであり、メダルを獲ることが「日本」の名誉だという五輪の国家主義にほかなりません。

 

宮田選手の「辞退」について京都新聞運動部長の万代憲司氏はこう論評しています。

 

「日本代表という「十字架」は背負った者でしか分からない。1964年の東京大会マラソン代表・円谷幸吉さんを自死させてしまった事実を、今こそ思い起こしたい」(20日付京都新聞)

 

円谷幸吉氏(写真右)は自衛隊体育学校の1期生で、自衛隊の方針として東京五輪に出場しました。

 

そもそも「スポーツ」の語源は、「日常の義務から離れ憂さを晴らす行為」だといわれます。「非日常の没頭空間を作ることで、苦しみから解放され憂さを晴らすためにスポーツが行われるようになったのではないか」(為末大氏・元五輪陸上選手「なぜ人類はスポーツを求めるのか」、季刊誌「世界思想」2024年春号・特集スポーツ所収)。

 

このスポーツの原点に立ち返り、市民のためのスポーツ普及を図るべきです。

それとは対極にあるスポーツの政治利用、国家主義にまみれたオリンピックは廃止すべきです。