ネット言論の英雄、ジュリアン・アサンジュとエドワード・スノーデンを顕彰する! | ワーカーズの直のブログ

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【3138】「ウィキリークス創設者、米当局との司法取引成立 で釈放へ」の記事を解説する。

副島隆彦です。今日は、2024年6月27日(水)です。

 今日、載せる記事は、ウイキリークスWikileaks という 世界の人民の言論の自由の為に、政府の秘密情報にアクセスして、それらを公開するウエブサイト(2006年の創設した、35歳の時)の創業者のジュリアン・アサンジュ(52歳、オーストラリア人)が、2010年からの英米政府からの言論弾圧で、身柄拘束され闘い続けた。

 そして14年掛かって、ようやく、イギリスの重罪刑務所から釈放された(6月24日)。5月から秘密交渉が始まっていたアメリカ政府との司法取引(しほうとりひき)で、26日(昨日)、サイパンの米連邦裁判所で、1件だけ米スパイ法違反を認めて、それで自由となり同日中に母国のオーストラリアに帰った。

 家族(奥さんの弁護士で彼をずっと支え続けて、アサンジュがエクアドル大使館に7年間、籠城していた間に、ふたりで2児を設けていた)と感動の再会をした。

(転載貼り付け始め)

〇「 ウィキリークス創設者、米当局との司法取引成立 で釈放へ 」2024年6/26(水)  CNN

(ここに記事の中のアサンジュの、最新の顔写真を載せてください。後ろの方に、もっと若い、10年ぐらい前の 闘っているときの顔写真(他の記事にある)も2,3枚載せてください)

  北マリアナ諸島サイパン島の米連邦裁判所に到着するジュリアン・アサンジュ被告(CNN) 内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者で米国の機密情報を漏えいしたとして起訴されたジュリアン・アサンジュ被告(52)と、米司法省との司法取引が成立し、被告は罪を認める代わりに釈放されることになった。 アサンジュ被告は司法取引が報じられる前の6月24日午後にロンドンの収監先を出て、空路英国を離れた。

 その後、米自治領北マリアナ諸島サイパン島の米連邦裁判所で、機密情報の入手、拡散を共謀した罪を正式に認めた。 米国に不信感を抱いてきたアサンジュ被告が米本土へ足を踏み入れるのを嫌ったことと、被告の最終目的地である母国オーストラリアにも近いことから、サイパンの法廷が選ばれた。

 アサンジュ被告は黒いジャケットと茶色のネクタイを着け、リラックスした表情で罪状認否に臨んだ。 判事から起訴事実について問われ、「私はジャーナリストとして、機密とされる情報を公開するため、取材相手に情報提供を求めた」と答えた。この活動は言論の自由を認めた合衆国憲法修正第1条によって守られていたとの考えを示したうえで、「憲法修正第1条とスパイ法は互いに矛盾していると考えるが、この状況で裁判に勝つのは難しいことを認める」と述べた。

 アサンジュ被告は米司法省に18件の罪で起訴されたが、司法取引で1件の罪を認め、5年2カ月の禁錮刑を言い渡された。ただし英国で収監された期間が算入された結果、米国での収監を免れた。

(転載貼り付け終わり)

 副島隆彦です。ああ、よかった。これでいい。アサンジュが、アメリカの重罪刑務所に、英国から身柄を送られて殺されることを、私たちはずっと心配していた。アサンジュが人類の言論の自由、報道の自由の為にずっと闘い続けたからだ。

 私たちは、彼が、政治亡命(ポリティカル・アサイラム)して逃げ込んでいた、ロンドンのエクアドル大使館(2012年6月から)の窓から身を乗り出して、外のメディア(プレス・コウ・記者団)に向かって、言葉を投げるのを、2019年4月まで、ニューズ映像で時々、見た。そのあとの5年間は、英国の警察にずっと勾留(こうりゅう)されていた。私たちは、ずっと彼のことを心配していた。

 当時(2012年)、アクアドルの左翼政権であったコアレ大統領が、アサンジュの在ロンドンの大使館に亡命して、逃げ込むのを認めた(2012年8月)。それから7年間、アサンジュはエクアドル大使館に籠城(ろうじょう)した。大使館の外に出て、外国にむけ出国しようとたら、英国警察が逮捕する、という構造だ。ブラジルのルラ・ダシルバ大統領や、メキシコのオブラドール大統領が、「アサンジュを自国に亡命させる」と申し出ていた。

 ところが、2019年に、エクアドル(南米のペルーの北)の政権が、コアレから変わって、親米(しんべい)のモレノ保守政権になった。モレノは、アメリカから経済援助の30億ドル(3千億円)を貰って、それを条件に、アサンジュを追い出すことに同意した。

 ロンドンのエクアドル大使館に、英国警察が入って、アサンジュを逮捕した(2019年4月)。このあと、一昨日(おととい)まで5年間、英国で勾留(こうりゅう)されていた。

 このジュリアン・アサンジュと、まったく同時代に、同じ、ネット・メディアで闘ったアメリカ人のエドワード・スノーデン Edward Snowden (1983年生。今41歳。アサンジュよりも11歳若い)(ここにスノーデンの顔写真も貼ってください)のことも心配し続けた。スノーデンは、CIAやNSAのシステム・アナリスト(分析官)で、2009年には横田(立川の米軍)にも来ていた。スノーデンは、アメリカ政府の国民監視ネット網(中国と全く同じ)の存在(PRISMプリズムと言う)をメディアを通して世界中に伝えた。スノーデンが香港に脱出したのは2013年5月20日だ。 

 アサンジュのWikileaks の仲間たちは、スノーデンを救援する活動もしていた。スノーデンは、CIAに香港で命を狙われながらも欧米の本物の闘うジャーナリストたちと会って、記事となり、自分でもネットに出て発言した。この直後、ロシアに政治亡命して、今はモスクワに居る。プーチン大統領がスノーデンにロシア国籍を与えた。

 私たちは、2016年に、豪胆な、優れた政治活動家のオリヴァー・ストーン監督の映画「スノーデン」を見て、全体像が分かった。

 ああ、よかった。これでジュリアン・アサンジュ(52歳)が自由の身になった。アメリカに移送されて重罪刑務所で殺されないで済んだ。私はずっと心配して来た。昨日の動画のニューズで、英国から元気に飛行機に乗る彼の姿を見て、私は涙が出そうになった。長い戦いだった。

 アサンジュは、26日に、サイパンで司法取引したあと、母国オーストラリアに帰った。このあと彼は世界中のジャーナリストの英雄になる。

 2006年ぐらいからの彼のウイキリークスでの ネットでの言論、報道活動を支える同志たちと、そしてあの勇敢な女弁護士ジェニファー・ロビンソン、そして多くの支援者たちがいる。ヒラリーたちが2014年から開始した、狂暴な世界中を戦争に巻き込む動きを、その前から、ずっとウイキリークス報道で暴いて闘って来た。そしてザ・デープステイトthe DeepState どもの大悪事を、世界中に伝えることで部分的に阻止した。偉かった。

 特に、ヒラリーが、NYの北の自分の家から、現職の国務長官なのに、不用意に、べらべらと何万本も、リビアでのカダフィ殺しや、シリア、北イラクでのIS(アイエス。「イスラム国」サウジの砂漠中の米空軍の大きな秘密基地でヒラリーとマケイン上院議員たちが作って育てた。扇動して洗脳して、狂ったイスラム聖戦=ジハード=イスラム原理主義の運動をやらせた)が、2014年6月に、北イラクのモスルに突如、出現した。そして中東地域(リージョン)を再び、戦乱の中に叩き込んだ。

 それから同時に、ヒラリーたちは、香港や台湾での、学生たちを扇動して、反(はん)中国の動きである、雨傘(あまがさ)革命とか、カラー革命。あれもそうだ。「自分は真のリベラル派で、世界の民主勢力につながる正義の活動家だ」と勝手に信じ込んだ、頭の軽い(人生の知恵の回らない)香港や、台湾の学生の一部を、CIAとNEDそして、英国情報部であるMI6(エム・アイ・シックス)が洗脳して扇動して、反(はん)中国の動きさせて。

 この学生、若者たちの人生は、このあと、自分の親たちからも支持されないで、おかしな方向へ向かってゆく。もう香港や台湾にはいられなくなる。 

 それに対して天安門事件(1989年6月4日)の時の、中国の民主化運動の学生たちは、元々エリートたちであるから、その後、アメリカでIT企業とかで成功した後、「自分たちは考えが足りなかった。自分の祖国の発展のために尽くす」と、深く反省して思考変更した。そして祖国への回帰=海亀(かいき。ウミガメ)派として、中国に帰って懸命に働いて、祖国のために尽くして、厚遇されている。

 それから、この時期に、同時並行で、ヒラリーたちが仕組んでやったのが、2014年からのウクライナ戦争の準備としての、オレンジ革命である。マイダン暴動という、親ロシア政権の転覆を、統一教会(Mooniesムーニー)の親玉のまさしくこの世に実在する女鬼(おんなおに)のむくつけき顔をしたビクトリア・ヌーランド米国務次官 (ここにヌーランドの、いつもの凶悪な顔写真を貼る。3月5日に、国務省をクビになった)たちが、現地で仕掛けた。この動乱(クーデター)の準備の 証拠の音声情報を、アサンジュたちが、ネット・メディアに公開し続けた。 

 バカ女のヒラリーが、平気で、無思慮に自宅から(全く暗号化していない)子分たちに大量にメールしたものが、世界各国の諜報機関(国家情報部)に流れた。それを、ウイキリークスが 掴んで公開したことで、ヒラリーたちの凶悪な悪事を暴いた。ヒラリーは国務長官だから国務省内から厳重に防御されたメールしか出来ないはずなのだ。

 この厳重な国家規則、国家機密を破ってまで(これだけでも重罰だ)NYの北の自宅からコソコソとメールで指令をだしたのは、米国務省(ステイト・デパートメント)内の、敵対するキッシンジャー派の勢力に自分たちの犯罪が露見しないようにするためだ。ヒラリーたちが、本当に世界戦争(核戦争を含む)を起こそうとした動きを、アサンジュとスノーデンたちが、阻止した。このことで激しい憎しみを持ったヒラリーは、「この男たちは絶対に殺してやる。捕まえて来てアメリカで処刑しなさい」と言った。

 いろいろなことが、この14年間で続いた。このあとは、アサンジュには、もう静かに暮らして欲しい。52歳で 余生と言うには早いが、もう十分、貴方は 戦った。偉い。私だって、アサンジュと同じように、殺される覚悟で真実の言論の自由のために闘いたかったが、機会を与えられなかった。それでもまだあと少し人生時間が有る。

 アサンジュが、どのようにアメリカの司法、裁判所と司法取引(plea bargaining  プリ―・バーゲイニング)したか、は、以下の昨日のBBCの記事に詳しい。正確にいろいろと書いている。勉強になりますからしっかり読んで下さい。

 司法取引は、日本でも知られるようになった。犯罪捜査を順調に進めるために、容疑者の一部からの妥協を引き出して、「容疑者の刑罰を免除、不起訴とする、その代わりに証拠を提出して自ら犯罪への加担を自白をする」という手続きである。

 実は、日本で本当に、司法(法務省と検察庁)が、この司法取引(プリ―・バーゲニング)を、正式に執行(制度の解禁)したのは、去年の、12月である。自民党安倍派のパーティ券収入の裏金、還流の仕組みを、証拠付きで、検察庁に垂れ込んだのは、下村博文(しもむらはくぶん。東京の板橋区、第○〇区が選挙区)議員である。下村は、自分の長年の親分であった、自民党のワルのドンのひとり森喜朗(もりよしろう)と闘いになった。自分が文科大臣になった時に、公明党(創価学会)の支援で、森から、文教族(ぶんきょうぞく。教育、文化、科学の予算、理研を握る)の支配権を奪い取ろうとして失敗した。2021年のオリンピック利権にまでつながる。森が下村を呼びつけて怒鳴りつけた。下村は土下座して謝ったが、森は許さなかった。それで、去年の12月に、下村は、森に対して、激しい憎しみを覚えたので、安倍派事務総長として自分が持っていたすべての裏金の韓流金の配分のリストの証拠を、検察庁の調べに対してすべて差し出した。

 これが安倍派(本当は森派)の解体につながる事件になった。今年にはいってもずっと5月まで騒がれた。法務省と検察庁は、今も、統一教会に、自分たちの若い検察官(26歳)を広島で殺されたことに激しく怒っている。法務省・検察庁は、下村を「逮捕、起訴しない」という司法取引を正式に結んだ。 この事実は、日本の新聞記者たちレベルでは理解されないことだが、世界基準の司法の実務の世界では公知(こうち)となっている。

 以下のBBCの記事で、アサンジュがどのように司法取引(plea bargeiningプリ―・バーゲニング )したかが、詳しく書かれている。以下の記事の中の、「2022年5月のオーストラリア総選挙・・・選挙によって、外国で拘束されている自国民の帰国を目指す新政権が誕生した。 政権を握った労働党のアンソニー・アルバニージー首相は、「アサンジ被告の行動を(自分は)全面支持はしないが(刑事罰を受けるのは)もう十分だ」と主張。被告の釈放を求めた」とある。豪アルバジーニー政権は、ケヴィン・ラッド首相を引き継ぐ、親(pro プロウ)中国の労働党の政権だ。これで、アサンジュを釈放して自由にする外交交渉も進んでいたことが分かる。

(転載貼り付け始め)

〇「 アサンジ被告の司法取引、なぜ実現したのか 」How the deal to free Julian Assange was agreed 2024年6/26(水)  BBC (この記事の中の写真を貼ってください)ジェイムズ・ランデイル(ロンドン)、ティファニー・ターンブル(シドニー) BBCニュース

 内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者ジュリアン・アサンジ被告(52)が6月24日、ロンドン・スタンステッド空港からプライベートジェット機でオーストラリア、そして自由へと飛び立った。

 これは外交、政治、法律が混ざり合った結果だった。 アサンジ被告は今回の司法取引で、7年間の籠城生活と、その後5年間の勾留の末に自由を手にした。まとまるのに数カ月かかったが、最後まで不確かだった。 英検察庁(CPS)は声明で、司法取引の可能性について「3月に初めて認識した」と説明。

 それ以来、アサンジ被告の釈放と、「同氏と米政府の希望に沿って」同氏を米連邦裁判所に出廷させる「仕組みについて」アメリカに助言してきたとした。 長年の行き詰まりの末に実現した今回の司法取引は、2022年5月のオーストラリア総選挙が発端とみられる。この選挙によって、外国で拘束されている自国民の帰国を目指す新政権が誕生した。

 政権を握った労働党のアンソニー・アルバニージー首相は、アサンジ被告の行動を全面支持はしないが「もう十分」だと主張。被告の釈放を求めた。そしてこの件を、主に舞台裏で優先的に扱った。首相は当時、「外交問題はすべてが拡声器を使って取り組むのがベストというわけではない」と話していた。

 豪(ごう)議会でアルバニージー氏は、超党派の支持を得た。 豪議員団は昨年9月に訪米し、米議会に直接働きかけた。アルバニージー氏も10月にアメリカを公式訪問した際、ジョー・バイデン米大統領との間で自らこの問題を取り上げた。 今年2月には豪議会が、米英両国に対してアサンジ被告をオーストラリアに帰国させるよう求める決議案を、圧倒的多数で可決した。 豪議員らは、影響力の大きいキャロライン・ケネディ駐豪米国大使にも強く働きかけた。

■鍵を握った人物 

 鍵を握った人物は、オーストラリアの高等弁務官として昨年早くにロンドンに着任したスティーヴン・スミス氏だった。 昨年4月には英ベルマーシュ刑務所を訪ね、アサンジ被告と面会。外交筋によると、スミス氏が「多くの力仕事をこなし、個人的にこの問題を大きく前進させた」という。

  スミス氏は、オーストラリアのケヴィン・ラッド元首相の政権で外相を務めた。ラッド氏は現在、駐米大使となっており、今回の交渉に関与してきた。 豪シドニー大学のサイモン・ジャックマン名誉教授(米国研究)は、豪政府にとってアメリカを支持するのは「自然な傾向」だが、両国の国民的・政治的感情は変化しており、アルバニージー氏は密室でアサンジ被告の釈放を求めるための「援護」を得ていたとBBCに説明した。

 豪(ごう)閣僚たちは、拘束されているアサンジ被告を、イランや中国で政治犯として拘束されている自国民と同一視することもあった。 オーストラリアでアサンジ被告の釈放を求める運動の法律顧問を務めてきたグレッグ・バーンズ弁護士は、違いを生んだのは政治だと話した。 「アルバニージ政権は、この問題をアメリカに提起した最初の政権だった。アルバニージーは野党からも支持を得た」 「(アサンジ被告の)処遇をめぐっては、多くのオーストラリア人がもやもやした思いを抱えていた。『どこに公共の利益があるのか?』とみんな疑問に思っていた」

■法的な救いの手

 こうした状況で、法律が役割を果たした。英高等法院が5月20日、アサンジ被告に法的な生命線を与えた。 被告をめぐっては、軍事機密を入手・公開した罪でアメリカで裁判を受けさせるため身柄を引き渡す動きが進行していたが、被告がこれに対して新たな差し止め請求をすることを認める決定を出したのだ。

 この時点で、アサンジ被告は米スパイ活動法に基づく複数の罪状に直面していた。公的秘密を公開した罪17件は、それぞれ最高10年の禁錮刑が科される可能性があった。

 ハッキングの罪1件は最高5年の禁錮刑となり得た。 決定で重要だったのは、豪国民であるアサンジ被告が、米憲法修正第1条の言論の自由の権利を抗弁として使えるのかという点への判断だった。 英検察庁で引き渡しの責任者を務めたことがある、法律事務所ピーターズ・アンド・ピーターズのビジネス犯罪部門のトップ、ニック・ヴァモス氏は、5月の決定が双方に対し、交渉のテーブルに着き、司法取引を完結させるようプレッシャーをかけたと話した。

 ヴァモス氏によると、この決定でアサンジ被告は、アメリカの秘密情報を公開する行為は米憲法修正第1条で守られていると主張できる可能性を得たとし、「さらに何カ月、何年もの遅延と圧力」が生じるかもしれなかったと述べた。 「アメリカはこうした不確実性とさらなる遅延に直面し、アサンジ氏がハッキングの罪を認め『服役』したとする代わりに、情報の公開については起訴を取り下げ、ついにこの物語に終止符を打つことにしたようだ」

 ヴァモス氏はまた、米憲法修正第1条がハッキング罪での起訴には何の影響も与えないであろうことを、アサンジ被告の弁護団は認識していたはずだと付け加えた。 そのため、秘密資料の公開に関する起訴が取り下げられたとしても、それに付随するハッキング罪での起訴については、被告は何の保護も受けられない状況だった。

 「双方ともリスクを認識し、話し合いのテーブルについた」 英政府関係者によると、次の高等法院の審理は7月9、10日に迫っていた。司法取引を実現させるタイミングは今しかないことを、双方は知っていたという。

■舞台裏の政治

 いつもどおり、政治も一役買った。 アメリカ側はしばらく前から、司法取引に応じる意向を示していた。ケネディ駐豪大使は昨年8月、司法取引が解決策になる可能性を公に示唆。これにアサンジ被告の弁護団が飛びついた。

 バイデン氏は今年4月、オーストラリアからの起訴取り下げの要請を検討していると述べた。 米外交官らは、オーストラリアとの関係を守ることに熱心だった。両国はイギリスも交じえた3カ国で、防衛・安全保障の枠組み「AUKUS(オーカス)」を構築していた。

 アサンジ被告の事案は、英米関係においても長年の懸案だった。多くの外交官らはこれを解消したいと考えていた。 バイデン政権が11月の大統領選挙の前にこの問題の解決を望んでいるとの憶測も広がった。アサンジ被告の支持者の一部は、イギリスでアサンジの身柄引き渡しに消極的な労働党政権が発足することを、アメリカは恐れているとの見方を示した。

 米ホワイトハウスは、6月25日、「司法取引の詳細には一切関与しておらず、司法省が扱う問題だ」と、即座に説明した。 結局のところ、法的・外交的論争を長年続けた末に、すべての当事者が取引を望み、そのためには妥協もするという結論に達したということのようだ。

(転載貼り付け終わり)

 副島隆彦です。これで、ネット言論の中から生まれたふたりの英雄が、第3次世界大戦を食い止めることに貢献したことが分かる。私たち日本人も、このジュリアン・アサンジュとエドワード・スノーデンの正義の闘いの後に続かなければいけない。

 

 副島隆彦拝