読書室
『人種主義の歴史』平野千果子著 岩波新書 本体価格 940円
〇本書は、白人優越思想の根源を「人種」主義にあるとし、それにより構築された暴力的な差別システム等の実態を、大航海時代から今日まで大きく通観した本である〇
大航海時代と先住民との出会い
本年4月25日、グテレス国連事務総長は、「奴隷及び大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国連デー」に発表した声明で、過去の奴隷貿易に対する金銭的補償の必要性を訴えた。
15世紀から19世紀の間、アフリカ大陸から少なくとも1250万人が欧州の商人などによって誘拐あるいは移動を強制されて奴隷として売られ、劣悪な航海を乗り切った人々はブラジルやカリブ海諸国の大農場で重労働を強いられるなどの苦痛を味わったのだ。
グテレス総長は、昨年9月に公表の国連報告書にある「関係諸国が奴隷制度に対する金銭的な補償を検討すべきだ」と提言を受け、こうした過去の出来事が「白人優越思想に基づいた暴力的な差別のシステムの土台を築いた」と指摘し、何世代にもわたる排除と差別の克服を後押しするため、補償に向け公正な枠組みを求めると改めて述べたものである。
本書は大航海時代を出発点とする。そもそも「人種」という言葉自体がヨーロッパに由来し、大西洋を越えて自分たちとは異なる先住民との出会いから始まったからである。
最初に本書の立場を端的に記述しておくと、人種という言葉が人の種を表すのであれば、人類の種は唯一つであり、その意味で「人種」はないという立場に立つ。人種という言葉は、諸説はあるものの、元々は家族や家系・血統と同意語として使用されていたものだ。
1488年のインド洋到達、1492年のコロンブスの航海によりその意味が変わった。こうして発見された新世界で彼らが見たものは、自分たちとは見た目が違う先住民たち。コロンブスの場合は「インディオ」である。コロンブスは彼らがすぐにもキリスト教徒になると見抜く他、「彼らは(自分たちの)利巧な使用人となるに違いない」とも考えた。
また想像も逞しかったコロンブスは、自然の中に生活する先住民を目撃例もないまま、人食い種族と決めつけた。カニバリズムはカリブ人と言う言葉から生まれたものである。
その後、武器を持たない彼らはスペインから戦争を仕掛けられ、虐殺・強制労働をさせられるなど、過酷な生活を強いられた。これに関してはラス・カラスの告発書『インディアスの破壊をめぐる賠償義務論』が有名である。
こうした状況下、スペインでは「インディオは人間か」との論争が起こり、一旦は人間と認められたものの、鉱山での彼らの強制労働の必要性から奴隷化が容認されたのである。
「人種」の発生
カリブ海での虐殺による労働人口の減少から大西洋奴隷貿易が発展した。15世紀半ばには黒人奴隷は既にイベリア半島にもいたのだ。それまで奴隷と言えば、スラブ民族(スレイブとは彼らの事)が主であったのだが、オスマン帝国の勃興による政治情勢の変化により、それ以降は黒人が主となってゆく。これによって奴隷と黒い肌とが同一視されるようになっていったのである。
そもそも『旧約聖書』の「創世記」第9章にあるノアによる「カインの呪い」とはアフリカ人は奴隷として運命づけられた人々のことだ、とのキリスト教徒の決めつけがある。そして事あるごとにこの物語は語られることになっていった。
16世紀になると新世界の探検は更に進んで、そこで発見された様々な先住民の分類が進められた。分類学者のリンネは、アメリカ人(インディオ)、ヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人の4分類にした。肌の色はそれぞれ、赤褐色、白、黄、黒。性格はそれぞれ、怒りっぽく頑固で自由を好む、活発・明敏かつ器用で創造的、鬱的で厳しく贅を好み吝嗇、狡く怠惰で投げやり。統治はそれぞれ、慣習により、法により、意見により、支配者の恣意により行われているとした。まさに「人種」主義の発生と恣意性の原点ではないか。
スウェーデンのリンネは、さらにヨーロッパ人の身体的特徴として金髪碧眼としたが、北欧には多いものの、ヨーロッパ全体のものではないことはすぐに了解されることだろう。
リンネと対立し、自然の多様性を説明するフランスのビュフォンは、人間は種としては単一だが、その相貌からは4種類に止まらないとした。ではこの見た目の違いはどこから来るのか。ビュフォンは、最も美しいとした白人を人間の原型とみなし、肌色の違いはそれから「退化」したとする。つまり原型の対極は黒。退化の理由は気候だとした。アフリカのホッテントットをヨーロッパに連れてきて何代か「交配」させれば、元の白に戻るかが「観察」できるとした。これまた驚くような、人を「もの」視する迷論ではないか。
リンネとビュフォンに続いて登場したのかドイツのブルーメンバッハであった。彼は『形質人類学』の祖の一人とされる。彼は、白人に相当するコーカサス、黄色のモンゴル、黒いエチオピア、赤いアメリカ、黒いマレーの5分類とした。フランスのキュヴィエは、白人=コーカサス、黄色人=モンゴル、黒人=エチオピアの3分類にした。
コーカサスとは、今日のアルメニア、アゼルバイジャン、ジョージアである。ブルーメンバッハの美の基準はコーカサスの白人であり、その重要なものは頭蓋骨であるとした。当時、頭蓋骨の研究についてはオランダのカンペル、ドイツのガルが著名だった。そしてキュヴィエもコーカサスは美しい卵型の頭部に特徴づけられる上、最も文明化しているとしたのである。
またスコットランドのノックスは、サクソン人たるイングランド人が最優秀との立場から白人を4分類する。さらに人間の起源の単一論と多元論が論争に加わり、「人種」論議は混沌としてゆく。
アーリア人の誕生
ここでコーカサス人が美しいとされたのは、まずはノアの方舟が着いたところ、またコーカサスにプロメテウスが磔にされたとのギリシャ神話もあり、人類発祥の地とされたこととも大きく関係する。
さらに古典サンスクリット語の研究が進み、この言語と古典ギリシャ語とラテン語が共通の源から発した可能性をイギリスのジョーンズが発表した。
ドイツのシュレーゲルがこの説を整理し、さらにイギリスのヤングが「インド・ヨーロッパ語」と名付けたのである。
この流れの中でインドの存在が注目された。そしてインドがすべての文明の源だとする立場も生まれた。そこから言語の起源が同じならヨーロッパ人の起源もインドということになってゆく。ドイツでは、クラプロートによってインド・ヨーロッパ人は「インド・ゲルマン人」とされ、後にサンスクリット語で「高貴な人」を意味する=アーリア人と言い換えられてゆくのである。
かくて「人種」分類と言語学の交差からアーリア人が生まれた。その後のヨーロッパの政治世界の中で、ナチズムはドイツ人こそ最も純粋なアーリア人であるとする見解は想像の産物であるが、ヒトラーらによってもっともらしく理屈付けられ、ユダヤ人の排斥等と重なってヨーロッパ世界で猛威をふるうことになっていく。
啓蒙思想家は「人種」をどのように捉えたのか
ではこのような「人種」主義、つまり人間を分類する思想を啓蒙思想家はどのように考えていたのか。本書は、これまであまり語られてこなかった彼らの実像を鋭く描写する。
18世紀末、人間の平等や自由を掲げた「アメリカ独立宣言」やフランスの「人権宣言」が発表されたのと平行して、ブルーメンバッハの5分類が発表されていた。
分類は集団間の相違や差異を言語化するものであるから、当事者の意図とは別に人間を序列化する。国内にある格差は、世界規模に拡大する。こうして一方が他方を利用するようになる。
イギリスのロックは、奴隷制度を認め奴隷貿易に投資せよと呼びかけ、ヴォルテールは黒人に対する過酷な取り扱いは批判するものの、奴隷制度そのものを問題視はしていない。そもそも彼は人種の違いを認めていた。ヒュームも同じ立場である。カントも人種は4分類の立場である。モンテスキューは、怠惰な人々は奴隷になるとし、奴隷そのものの存在にはまったく無反省だ。
最後に自然人を称揚したルソーについては未開人を理想化したように捉えられているが、黒人が奴隷にされていることや奴隷制度への言及もなく、その意味でルソーの思考では彼らが捉えられていない。まさに実際に実子を孤児院前に捨てた非情のルソーの、思想家としての面目躍如だけのことはある。
こうして「人種」主義は、ユダヤ人にまで拡大し、旧世界ではドイツを中心として、新世界ではアメリカを中心に猛威をふるう。アメリカでは優生学学会が実際の社会政策にまで口を出し、断種法や移民禁止法等の「人種」主義的立法を次々と成立させた。
アメリカとナチスの優生学
これに学んだナチスのヒトラーは政権につくや、「職業官吏再建法」を発令し、アリーア人条項を導入して、非アリーア人官吏の排除を定めた。
非アリーア人とはユダヤ人の系統を引く者とされ、両親の二人と祖父母4人の内、1人でも非アリーア人であればその者はユダヤ人とされた。ユダヤ人は反ユダヤ主義が作った等の説がある一方、他方で国際的な定義はユダヤ教徒であるとされるが、ナチスは定義を血筋で決定するとの暴挙に出たのである。
私たちは人類は唯一つとの立場から、「人種」論の間違いを糺してゆかねばならない。
その後、「ドイツ人の血と名誉を守るための法」と「ドイツ国公民法」により、ドイツ人とユダヤ人との結婚と性的関係の禁止となった。つまりナチスは、ユダヤ人との「混血」」避けるため、ついにドイツ人とユダヤ人との性的結合の禁止に至ったのである。
では「純血」のドイツ人とはいるのか。ナチス親衛隊への入隊資格は「純血」のドイツ人とされたが、現実にはドイツ人はゲルマン人らとの「混血」の産物なのである。だから現実には存在していない。ナチスはこれらの事実を誤魔化すのに必死だった。
実際にホモサピエンスは既に絶滅したネアンデルタール人のゲノムを引きついでいる。その意味では、現実に生活している現生人類はすべて「混血」しているのである。
ナチスのやったことといえば、現実のドイツ民族を肯定するのではなく、観念の上でアーリア人=「ドイツ人種」を創ってゆくことにあった。つまりヨーロッパ各地でのドイツに好ましい子供の育成と、その対極としての劣等種であるユダヤ人との「混血」を阻止するための排除や虐殺は、ナチスの「人種」主義の表と裏、つまり両輪だったのである。
今、「人種」主義は、アフリカ諸国の独立による「奴隷及び大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国連デー」の制定が象徴するように糾弾の対象である。またアメリカでも、奴隷制の廃止以降も引き続く黒人差別への抗議する公民権運動によっても黒人差別はなくなっていない。警官の黒人に対する横暴も止むことはなく、あのフロイド事件は起こったのだ。
警官による黒人殺害が続く中でBLМ運動も高揚している。アメリカでもワシントンやジェファーソンの像まで撤去されたように、アメリカの歴史の見直しが進んできている。
ヨーロッパでも黒人奴隷やアフリカ棟の植民地支配に反省が求められているのである。
バイデン大統領の直近の失言
最後にバイデン大統領の直近の失言を紹介することで、この記事を締め括りたい。
4月17日、バイデン大統領は東部ペンシルベニア州で、戦時中に行方不明になった兵士らの記念碑を訪れた。その後の演説で「おじは米軍機に搭乗中、ニューギニアで撃墜された。遺体は発見されなかった。当時その地域には多くの人食い人種がいたからだ」と発言した。
これに対して、4月21日の声明でパプアニューギニアのマラペ首相は、「バイデン氏はおじが人食い人種に食べられたと示唆したようだが、失言だろう。米国には第二次大戦の残骸の除去や遺骨の回収を進めるよう求める。そうすれば、バイデン氏のおじに関する真実が示されるだろう」と述べたのである。
国防総省の記録によると、1944年5月、バイデン氏のおじが乗った米軍機は、ニューギニア北方沖で不時着した。原因は不明で、乗っていた4人のうち1人が救助されたが、おじを含む3人は行方不明になった。当時、バイデン氏は1歳半だった。
つまりバイデン大統領は、ニューギニアの人々は人食い人種だとの実に牢固たる根強い偏見を持ち、アメリカの為政者として今後も先住民差別と黒人差別を放置し続けることに執着している。バイデン大統領自身が強く「人種」主義を信奉し、今日でも深くとらわれていることを、この失言をすることでその姿勢をはっきりと示したのである。
このような 「人種」主義に関心がある読者には、手頃なものとしてぜひこの本を薦めたい。