英国大使館敷地が英国大使館、マンション予定地、公園の三分割に! | ワーカーズの直のブログ

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随想⑪英国大使館と縄文・弥生遺跡:英国大使館敷地が三分割された。一つは英国大使館、一つはマンション予定地、一つは公園、マンション予定地を調査、弥生時代の竪穴住居跡、縄文時代の住居跡が見つかった。さらに江戸時代のもの。不思議にこの間の期間の物が見つからなかった 

孫崎享 <blomaga.ch1332@nicovideo.jp>2024/6:26https://ch.nicovideo.jp/article/ar2187836

 

英国大使館は在京各国大使館の中でももっとも秀でた場所にある。内堀通り、千鳥ヶ淵公園、半蔵門濠を超えると皇居で、天皇陛下のお住いの吹上御所がある。緊急事態には皇居から半蔵門濠の地価を通って英国大使館に出る逃げ道があるとまことしやかな伝説がある。

 

この英国大使館敷地が三分割された。一つは英国大使館、一つはマンション予定地、一つは公園である。

 

経緯はやや複雑で明治にまでさかのぼる。幕末英国は莫大な資金を背景に徳川幕府崩壊に関与する。明治政府下、大使館建設を、土地を買っていれば何の問題もなかったが、安い借料で大使館を立てた。1873(明治6)年、明治政府が貸し付けた約3万5千平方メートルの国有地に建てられた。

 

戦後も破格の安い賃料であった。しかし1970年代には日本政府は妥当な賃料を要求し始めた。広大な土地なので支払いが難しい。そこで交渉が行われ、日本政府に五分の一の土地を返し、残りを英国の物とする交渉が成立したらしい。2023年3月15日入場無料の国民公園「半蔵門園地」が開園した。

 

これで終わらなかった。財政難の英国政府は自分のものとなった土地の内、敷地約7700平方メートルを三菱地所レジデンスに売却した。超高級マンションが建つのであろう。

 

この地に埋蔵物の調査が行われた。発掘では当然、江戸時代のものが出る。出土したのは、江戸時代の武家屋敷で使った多数の上水や井戸跡、道の跡とみられる版築、麴(こうじ)の生産に使われる麴室(こうじむろ)や地下室など。古地図によると、発掘現場の北側は大和新庄藩永井家、南側は陸奥七戸藩南部家が幕末まで屋敷を構えていた。

 

今回の驚きはこの地に縄文、弥生時代の集落があったことである。弥生時代の集落とみられる竪穴住居跡に加え、縄文時代の住居跡なども見つかった。残念ながら私は実に行かなかったが、区は一般公開を行った。最近一般公開に参加したという人から話を聞いた。

 

東京MXの報道によると、千代田区文化財担当課長 加藤伸昭氏は「発掘調査が終わった後は、今出てきた遺跡に関しては埋め戻して、それからマンション建設という手続きに入る予定だと思う」と述べている。

 

だがこれだけの広大な弥生時代や縄文時代の遺跡が出ることはない。地元住民等が遺跡の保存の署名活動をしているという。

 

今度の発掘で江戸時代のものは出た。弥生時代や縄文時代の遺跡もでた。だがこの間の期間の遺跡や物が出てきていないという。何故なのか。

 

英国大使館は広大な敷地を持っていた。多くの木々がある自然豊かな土地だった。

 

大使館裏に住む人が述べていた。「春、鶯が鳴いていたのです。去年は鶯の声は聴かれませんでした。夏、様々な種類のセミが鳴いていました。でも去年はセミは鳴きませんでした。私はこの地の緑を残して欲しいと思っています。三菱地所の方がご挨拶に来られた時、緑を残して下さいとお願いしました。三菱地所の方は出来るだけ善処しますと言われたので、そうなって欲しいと思っています」

 

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