【盛山文科大臣・辞任論】政策協定にサインしたのに「記憶にないので協定は無効だ」と言う盛山氏は大臣以前に政治家失格。それを是認する岸田総理も総理以前に政治家失格。藤井聡(「新」経世済民新聞メルマガ) <info@mitsuhashi-takaaki.net>
2月12日(月) 18:04
盛山文科大臣が統一教会との「政策協定」にサインをしていた、という件。あまりにも下らない話ですからスルーしようかとも思いましたが、日本の現内閣、現総理の対応があまりにも酷いので、最低限の批評を改めてここでしておきたいと思います。
多くの国民は、盛山氏が一体何のサインをしていたのかピンときておらず、ただ単に盛山氏が「サインをしたことについて記憶に無い」と言ったかと思えば、「うっすらと思い出した」といったり、やはりまた「正直記憶に無い」…と言うことが二転三転していることに批判が集中しているようです。
そんな盛山氏に対して国民からは「辞任論」が出ていますが、岸田総理は「今は統一教会と関係が一切ないから、更迭は不要」と発言し(少なくとも本日時点では)盛山氏を守り切る姿勢を見せています。
が、結論から言いますと、このサインが表になったにも関わらず辞任しない、更迭しないと言った時点で、盛山氏も岸田氏も大臣どころか政治家として一発アウトになる程の恐るべき案件なのです。
なぜそういう結論に至るのか…以下、順をおって解説いたしましょう。
まず、盛山さんがサインした事実上の「政策協定書」と言われている文書とは何かと言えば、厳密に言うと、「推薦確認書」というものです。これは、「衆議院選挙において、統一教会が盛山氏を『推薦しますよ』ということが明記された書類」です。ですからこの書類があれば、統一教会の信者達や関係者達の多くが盛山さんに投票することになります。だから選挙に勝ちたい盛山氏は、そんな推薦書が欲しい。ですが、推薦して貰うためには、教団側からの「こういう政策の実現に向けて努力するということについて誓約してください」とお願いに同意しなければなりません。
つまり推薦者(教団)は、そういう政策についての「お願い」を承諾した候補者に対してのみ、「推薦確認書」を発行するのです。そして今回の盛山氏のサインとは、その推薦者(教団)からの「政策実現してねというお願い」に対して「分かりました、実現します」という承諾を意味するサインなのです。だから推薦確認書は、事実上の「政策協定書」なのです。
つまり、盛山氏のサインが記載された推薦確認書=政策協定書が存在する、という「事実」は、以下の事態を意味しているのです。
『盛山氏は、先の衆議院選挙で統一教会からの正式の推薦を貰うことと引き換えに、統一教会が提示する政策を実現する(あるい実現するために努力する)という事を確約する誓約書にサインをした』要するに盛山氏は、統一教会に選挙協力してほしいから、当選したら統一教会が望む政策を実現してやるよと約束したわけです。
それにも関わらず驚くべき事に盛山氏は、「記憶に無い」と言ってのけているのです!しかも岸田総理は、「盛山氏は現在、統一教会と一切関係ない」(だから辞任しなくてもいい)と断定しているのです!!
もうここまで来れば、盛山氏も岸田氏も、大臣や政治家として不適切であるどころか、日本社会の一社会人として著しく不適切な人物だと断定せざるを得ません。
世間では、「統一教会に解散命令を出す立場の文科大臣が、統一教会と政策協定を結んでるなんて言語道断だ!」ということを論拠に「大臣辞任」を迫る意見がありますが、実際にはもうそれどころの話じゃないのです。この問題は「大臣辞任」どころか「議員辞任」、ひいては「公民権停止」だって全くもって不適切な話ではないくらいの大問題なのです。
ツッコミどころが多すぎて頭がパンクしそうになるくらい腹立たしい話ですが、一つずつ解説していきましょう。
まず第一に、「統一教会との政策協定にサインした」という<事実>に対する言い訳として、盛山氏はひたすら「記憶にない」ということで言い逃れしていますが、そんな言い逃れは無理です。そもそも「政策協定にサインする」とは、将来において忘れたとか知らないとかいう「言い逃れをさせない」ための社会的な契約行為だからです。
つまり盛山氏は今、「お前にはこういう社会的契約が存在するぞ!」と迫られているのに、「記憶にない」といい、彼を任命した岸田総理は「今は一切関係ありません」と言って、言い逃れをしようとしている、ということなのですが…一体この人達は何を言っているのでしょうか???
これでは、サインの入った借用書を突きつけられて「カネ返せ!」と迫られているのに「覚えてない、だから返さない」と言う不埒者と同じです。
盛山氏が言うところの記憶にあるとか無いとかいう話は、社会的契約の存否とは全く関係無いのです。そして社会的契約が存在している以上、岸田氏が言うような「今は一切関係ありません」などという話は絶対に正当化しえないのです。
万一彼らの言い分がまかり通るようなことがあるなら、日本社会におけるサインの全てについて「記憶がありません。だから、その書類に書かれている約束事項等、僕は履行する義務なんて有りません」と言ってのけることが可能となります。
…がそんな事は許される筈がありません。これが許されれば、「契約」というものが日本において全て無効となってしまうのであり、近代国家として全く機能しなくなります。
それ程に今回の盛山氏や岸田氏の言い訳は恐るべき社会破壊をもたらす酷いものなのですが、彼らはそういう自覚も無く、日本の行政の長である総理や、内閣の重要メンバーである国務大臣の立場で国会にてそんな破壊的言説を繰り返しているのです。
もはや彼らは恥知らずという次元を遙かに超えた、単なる反社集団としか言いようがありません。
第二に、盛山氏が「推薦をしてもらうために、政策協定にサインしたということ」を「覚えてない」ということについての政治家としての恐るべき不道徳性です。
万一、彼の「記憶に無い」という発言が正しかったとすれば、それは、選挙で手伝ってもらったり票を入れて貰うためならばいくらでも「嘘をつく」のだということを意味します。
サインした以上、そのサインした人間は、その契約の中身がなんであれ「記憶」しておくことが必要です。そうでなければ、そのサインが「嘘」だという事になるからです。友達関係で「絶対の絶対に約束する!」と言ったのに、その約束を忘れる阿呆がいたとすれば、その阿呆の「約束する」という言葉は実は「嘘」だったという事になるのと同じです。
だから盛山氏が「忘れた」と言うということは「僕は選挙で勝ちたいから嘘をついたのです」と言ってるのと同じなのです。いわば、彼は統一教会に対して「詐欺」を働いたということです。
にも関わらずいけしゃぁしゃぁと「忘れた」と言う発言を繰り返す盛山氏は、自分が嘘つきであり、<詐欺師>紛いの人物であるという事に気が付いていないのか、気付いていながら、その対象が反社的な統一教会だからいいだろうと思っているのかわかりませんが、いずれにしても政治家として最も不適切な部類の人物だと言う事になります。
そもそも政治家になるのは政策を実現するためであり、それ以外の正当化し得る公的理由など存在し得ません。
その大切な政策実現について盛山氏は平然と「嘘」をつく人物である事を彼は(「記憶にない」という)国会答弁で日々証明しつづけているのです。
しかも「今は統一教会と一切関係ないから、問題無い。国務大臣を更迭しない」と発言し続ける岸田総理は、そんな国民に対する政策についての恐るべき詐称行為は、全くもって正当な行為なのだという公言しつづけているわけです。
岸田総理は統一教会が反社的組織だから、どんな酷い犯罪を行ってもいいのだとでも思っているのでしょうか? あるいは政治家なんて選挙に勝つためならどんな嘘をついてもいいのだとでも思っているのでしょうか?…誠に遺憾ですが、この両者の解釈以外に、岸田氏の「盛山氏は問題ない、更迭必要無し」という公言を説明する理性的な解釈はあり得ないのです。
…
いかがでしょうか…おわかりいただけましたでしょうか? ほんとうに酷い話です。
※ 以下は、一般公開しずらい言説を含みますので、公開は差し控えさせていただきます。ご関心の方は下記をご一読下さい。
https://foomii.com/00178/20240211025301120291
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https://www.fnn.jp/articles/-/656668