日航機123便墜落事故の事実を知る者は確実に存在する! | ワーカーズの直のブログ

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3rd Apr 2023#410院内緊急集会 #政策連合#JAL123便訴訟411PM4東京高裁 #異常外力の着力点★墜落真相解明が真の供養(植草一秀氏)

 

JAL123便ボイスレコーダー等開示請求事件の控訴審が4月11日に第2回口頭弁論期日を迎える。この日で結審になる見込み。訴訟は2021年3月26日に提起された。被告は日本航空株式会社原告は123便墜落事故で亡くなられた吉備雅男さん(当時45歳)の遺族(妻)吉備素子さん。2021年6月の1審第1回口頭弁論までは、もう1名の原告がいた。123便の佐々木祐・副操縦士の実姉である市原和子さん。しかし、市原さんは21年8月に訴訟を取り下げた。市原さんが入居する老人施設の事務局長は元日航の客室乗務員。市原さんに連絡を取ろうとしても老人施設は電話を取りつがなかったとのこと。市原さんにさまざまな圧力が加えられた疑いがある。

 

東京地方裁判所への訴訟提起は2021年3月26日。6回の口頭弁論期日が設定され、2022年10月13日に1審の判決が示された。判決は原告の請求を棄却した。東京高裁での2審は本年2月21日が第1回口頭弁論期日。被告の日本航空は裁判長から意見を求められ、「全て出し尽くしている。結審してもらいたい」と主張した。裁判官合議のため3分間の休憩が設けられ、4月11日にもう1期日入れて結審することが決定された。

 

裁判に時間がかかる日本で、異例のスピード進行が続く。4月11日に、その第2回口頭弁論期日を迎える。開廷予定時刻は午後4時。傍聴券交付のための抽選は開廷20分前に行われる見込み。国家権力がこの訴訟を早急に終了させてしまおうとしているように見える。しかし、訴訟の対象は極めて重大な問題だ。原告である吉備素子さんは運行会社である日本航空対して123便のボイスレコーダーとフライトレコーダーの完全開示を求めている。

 

吉備素子さんは2月21日の第1回口頭弁論期日に意見陳述し、「雅男は123便に客として乗り、バラバラになりました。私が見つけたのは、右手と背中の一部、足首のみ。38年たち、なぜ夫がこのようになったか疑問です。なぜ、日本航空は遺族に事故原因を全く説明しなかったのか。」「事故調査報告書は修理ミスによる圧力隔壁の破壊が原因と「推定される」と記述したが、2013年に運輸安全委員会ホームページに提示された同報告書付録には垂直尾翼に11トンもの外力が作用したとする「異常外力の着力点」の記述があり、また、相模湾に垂直尾翼の残骸が存在すると見られることが明らかになった」と述べ、「公共交通機関として、遺族に誠実に事実を教えてほしい」と訴えた。

 

事故調報告書は「圧力隔壁の破壊が原因と推定される」としたが、2013年に公表された資料には「11トンもの外力が作用したとする「異常外力の着力点」」の存在が明記された。事故当日、123便飛行ルート真下の相模湾で防衛庁護衛艦「まつゆき」による国産ミサイルの発射実験が行われ、そのミサイル等が123便に着弾して垂直尾翼を吹き飛ばしたとの可能性を多くの人々が指摘している。

 

123便から生還された日航客室乗務員(当時)の落合由美さんは救出された直後に、「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」と証言した。ところが、事故調査報告書は、「救出された4名以外の者は即死もしくはそれに近い状況であった」と記述。事故調報告書と落合さんのいずれかが虚偽を述べていることになる。

 

4月10日午後5時から午後7時半の予定で開催する政策連合(オールジャパン平和と共生)主催「いま岸田内閣を問う!-院内緊急集会-」会場:参議院議員会館B107会議室https://bit.ly/3ZVWmtW参加申し込みは下記アドレスへ(先着順受付)info@alljapan25.com 院内緊急集会では123便ボイスレコーダー等開示請求事件についても弁護団の佐久間敬子弁護士より解説をいただく。翌日の123便訴訟控訴審第2回口頭弁論期日と合わせて、多くの市民の参集を呼びかけている。

 

『国家はいつも嘘をつく』(祥伝社新書)https://amzn.to/3ZDts0Gにも記述した。それ以前にも本ブログ、メルマガに記述してきた。123便墜落の真相を明らかにすることが求められている。真相を究明し続けてきた青山透子氏の尽力が大きい。また、123便墜落で犠牲になられた方の遺族である小田周二さんも真相究明を続けられている。『524人の命乞い』https://amzn.to/3GbWLAvほか多数の著書を公刊されている。墜落現場には「悲願航空安全・鎮魂の鐘」が設置され、「航空安全国際ラリー組織委員会」銘による「日航123便で死亡した520人の犠牲者1人1人がどうして死ななければならなかったか、関係するあらゆる事実を解明し、将来の安全に役立てることこそ真の供養である。」と刻んだ石碑が建立されている。事件の真相を明らかにすることが亡くなられた犠牲者への最低限の供養である。

 

123便は1985年8月12日18時24分35秒と36秒に爆発音。機長は18時24分39秒に「なんか爆発したぞ」と発声。その後、18時24分48秒と18時24分55秒に航空機関士が二度、「オレンジエア」もしくは「オレンジや」の声を発している。機長は爆発音を感知した6秒後の18時24分42秒に「スコーク7700(緊急事態)」を宣言。開示されているボイスレコーダー音声からは、管制官との会話については18時18分38秒以降の、カンパニーラジオでの会話については18時21分00秒以降の、123便に異常が発生した直前である18時24分12秒までの音声が欠落している。123便に接近するオレンジ色の飛行物体=オレンジエアについての言及があったのだろうか。

 

123便めがけて何らかの飛行物体が飛行してくる場面を亡くなられた乗客の一人がカメラで撮影していた。この写真の画像解析結果は、「オレンジがかった色となる円錐形、円筒形のもの」とされた(早稲田大学による解析)。事故当時に横田基地に配属されていた米空軍輸送機C‐130のパイロット、マイケル・アントヌッチ中尉証言が1995年8月27日付「星条旗新聞」( Stars and Stripes)に掲載された。同中尉は8月12日、午後7時20分に墜落現場を現認したと記述している。

 

墜落現場で事故現場から横田までの緯度、経度、方向と距離を横田基地に連絡した。横田管制からは、現墜落現場から約40マイルの厚木基地から米海兵隊が救難に向かう準備をしていることが伝えられた。現地で8時50分までに米海兵隊の救援ヘリのライトを視認。その後、中尉らは「海兵隊は救助続行を希望している」と伝えたが横田管制は「即刻、基地に帰還せよ。海兵隊も同様」と命令。C‐130は午後9時20分に自衛隊機が現地に到着したのを確認して現場を引き揚げた。

 

事故当日の8月12日に上毛新聞が、墜落地点が群馬県上野村であることを明記した号外を発行している。ところが、大手メディアは8月13日朝まで墜落地点が特定できないとの報道を繰り返し、自衛隊による救出活動が開始されたのは翌朝8時半以降にずれ込んだ。また、自衛隊の墜落現場での活動開始直後、墜落原因とされた圧力隔壁が現場で直ちに自衛隊によって細かく裁断された。

 

自衛隊演習によるミサイル着弾が123便の尾翼が損傷し、そのすべての事実を隠蔽するために123便が群馬県上野村の高天原山山腹に誘導されたとの疑いを払拭できない。墜落直後に救命活動が実行されていたなら、多数の人命が救われた疑いは強い。真相解明を妨げる大きな力が働いていると感じざるを得ない。しかし、事実を知る者は確実に存在する。

 

その人々が、いまこそ正義の声を発することが強く求められている。