映画『マルクス・エンゲルス』を見た感想② | ワーカーズの直のブログ

ワーカーズの直のブログ

ブログの説明を入力します。

 それで、もう日本の普通のあまり知能の高くないアジア庶民にこんな話をしても無理なんです。ただ、岩波文化の中で、左翼の文化の中で生きてきた人が、それでも500万人もいますからね。なめた国ではないんです。ただ、この人たちがみんな一人一人の人生に敗北して、鬱屈して、あまりいい思いをしていなくて、70歳80歳になっているんです。彼らはもう自分自身の人生の政治社会問題の陰でひどい目に遭っている。失敗していますから、黙りこくってしまっている。

 今の20代の連中でも知能が低い、潜在的には頭がいいんだけど政治思想や訓練を一切受けていませんから、ほとんど知能の低い状態にあるのです。人に対して知能が低いという言い方をするのは非常に失礼なように見えますが、これはもうどうにもならない事実です。知能が高くてたくさんの政治思想の勉強をした人間と、そんなことと何もかかわりなく、毎日楽しくテレビも見て、若者文化の中にどっぷりつかっているような低学歴の人間たちと一緒に扱うわけにはいかないのです。

 ただし、この間死んだ西部邁(にしべすすむ、1939-2018年)というのは、編集者とも話したけれども、ひねくれ者でして、自分が新左翼運動の始まりの、元祖のところの1人なのに、保守思想に転向したものですから、大衆への反逆という考え方をつくってしまった。大衆をものすごく侮蔑して軽蔑するわけです。それを50年間もやり続けた男です。大衆や庶民を知能の低い人間たちとして、腹の底から侮蔑しているわけです。侮蔑する本を50年も書き続けて、それで自分自身が絶望感の中で死んでいったわけです。おかしな男なんですが、東大教授にまでなっているこの男の魂の残酷な乱れというか、哀れな感じになるんですね。


西部邁

 私、副島隆彦はそういう態度をとらない。知能の低い、勉強をしていない人々を能力では差別しますが、人間として差別しているわけではない。政治思想をいくら勉強したからといって、偉い人間になるわけはないのですが、だからといって知識・思想の勉強を一生懸命やった人間を一般庶民程度の知能の低い連中から対等に扱われるわけにはいかないのです。このあたりが難しいところです。

 だから今ごろこんな共産主義などという亡霊みたいな何だかもう汚れまくって汚らしくなり果てた思想の話は復活するのかという重要な問題だ。それはやはり簡単に言えば1917年からのソビエト革命と、それからその影響をずっと受けた1830年代、40年代です。それから戦後までの毛沢東が実現した中国共産主義運動の地獄の悲劇の中で、ロシアでも2000万人やそこら餓死したし、牢屋に入れられて死んでいる。中国でも1億人ぐらいは大躍進運動と文化大革命の中で死んでいるわけです。

 だからもう血みどろの地獄の果てで共産主義思想というのを味わっていたということで、滅んでしまったわけです。滅んでしまった、さっき言ったように焼け跡の瓦れきの中から、またこの思想が芽吹いてきている。この奇妙さ、おもしろさに注目しなければいけない。だからこんな映画がよくできたものだと言うと思う。

 が、しかし同時にこれはものすごくよく計画された動きであって、恐らく共産主義思想というものがもう一回人類の中に大きく沸き起こってきます。そのときにはソビエトと中国での残酷な、血みどろの大量殺人の歴史を乗り越えながら、次の時代に向かう人間社会のあり方の思想がもう一回試されている。だからカール・マルクスという男に集中させながら、物語はどうしても進むわけです。これは日本の知識人、急進リベラル派、すなわち左翼の連中全体にかかってくる課題なんです。

 その内部のいろいろな細かい議論は私は今はしませんが、全部知っています。ただこの映画に即して私は驚いたことを話さなければいけない。それは1843年の4月のプロイセン政府、ですからベルリンのプロイセン国の政府で、木材窃盗取締法という法律ができて、それで庶民が、当時は暖房もまきで煮炊きしているわけですから、まきをとりに山に行く。そうしたら、このプロイセン政府の役人たちが馬で踏み込んできて、一般庶民を殴り散らすわけです。それで山に入って、王様の山から勝手に落ち葉というか、枯れ木をとったら、それは犯罪であるといって殴られたり殺されたりしていたわけです。

 それに対して若いカール・マルクスは24歳ですけれども、『ライン新聞(Rheinische Zeitung)』というのがあって、それに書いていた。激しい批判をしているわけですが、ここから始まっている。24歳です。この『ライン新聞』をどこで出していたのかわからないのです。フランクフルトなのかケルンなのかわからない。ただライン地方の新聞ですから、かなり幅広いところに生まれた。日本人ごときがと言いますが、日本の東アジア土人ごときがヨーロッパ政治思想を簡単に理解させることも私はしたくありません。日本の普通の庶民というのは、やはり土人は土人なんです。


ライン新聞

それをわかった上であえて言いますが、このときのドイツ人、フランス人の知識人層というのはすさまじく頭がいいのです。頭の悪い人間が、頭のいい人たちに向かってねたみ嫉妬であれこれ言うなと言っております。副島隆彦はずば抜けて日本国内では頭のいい人間ですが、いかんせん土台のところが日本土人社会の中にどっぷりつかって生きていますから、これは感情的なる必要もないぐらいにまず明確に言っておかなければいけない。

 ですから、当時の1843年4月というところに焦点が当たって、この24歳のマルクスがプロイセン政府というドイツ人の国ですが、もうウィーンの神聖ローマ帝国はぼろぼろに崩れまして、そして1804年かな。ウィーンにヨーロッパ皇帝を名乗ったナポレオンが入り込んできて、ウィーンは遠慮してしまいまして、神聖ローマ帝国の皇帝をやめてしまうのです。そしてオーストリア・ハンガリー二重帝国の一応皇帝ですという名前になるんですね。オーストリアは小さな国になっていくのです。

 それに対してベルリンを中心にしたヴィルヘルム1世、2世のプロイセンという国が家来になっていくわけで、この時代なので、同時にドイツ人というのは豚肉とジャガイモ、ハムしかないようなどん百姓の国だと実はフランス人からは思われていたのです。事実、そうなんです。だけどものすごい勢いで産業と技術の面でものし上がってきた時代です。

フランスはものすごく威張りくさっていたんです。それは雨がフランスは降って、イタリアとフランスは小麦が幾らでもたくさんとれたんですね。それに対してドイツはもう砂漠みたいなところで、きちんとした穀物栽培ができない。寒いということもありますけれども、雨が少ないでしょう。それで、ようやく豚とか牛のふんを入れて、ようやく三圃農業というのをやって、農業生産ができるようになった。それがドイツなんです。ドイツとフランスの大きな違いです。

※古村治彦のブログ「古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ」で、アメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』誌に掲載された映画『マルクス・エンゲルス』の映画評をご紹介しています。興味のある方は、こちらからどうぞ。

(続く)